1月17日(土)、NPO法人レジリエンス代表の中島幸子さんを講師としてお招きし、連続セミナー『子どもと性暴力―身近にある現実を知ろう』の第一回講演を開催しました。主催した、アムネスティ日本 子どもネットのメンバーが報告します。

当日は44名の方がご参加下さり、定員50名の会場は人で一杯。「こういう講演に来られた方の何人かは当事者経験があると考えるのが大前提だと思っています」と中島さん。参加者同士が適度なスペースをとったり、講演を聞いていて気分が悪くなったりしたら自由に席を外したりすることを推奨されるお心遣いから、講演を始めて下さりました。

性暴力という犯罪の恐ろしさ

中島さんのお話からは、まず三つの特徴が見えました。

一つ目は、性暴力は他の暴力と比べて極めて発覚に至りにくく、それゆえに被害に遭った人の人生に与える影響力の大きさの割に、その事実や被害件数が世の中に知られにくい犯罪であるということです。

物理的証拠を示すことが難しいので、行政によるきちんとした対応を受けることが容易ではありません。同じ「身体に対する暴力」でも、外傷が残る暴力ならそれが証拠になれば、共感してもらうことも容易です。けれども、性暴力の傷跡は身体の表面ではなく内部や心に残るので、まず事件発生時のことを詳しく話さなければ理解してもらうことができません。

しかし、被害に遭った人にとってこの行為は非常に大きな心理的負担になります。何故なら、性暴力は重度のトラウマ(心的外傷)を引き起こしやすい暴力だからです。また、トラウマの記憶は通常の記憶とは異なり不完全なものになる傾向があります。そうなると事実を証明するのが難しくなる場合も少なくないのです。

二つ目は、二次被害が起こりやすい犯罪だということです。これは、事件を知った人が被害に遭った人を疑うか否定するところから始める可能性が高いためです。「あなたが誘ったんじゃないの?」「何でそんな時間にそんな場所にいたの?」などという、一見何気なく思えるような質問が、勇気を振り絞って被害体験を告白した人のこころには凶器となって突き刺さるのです。

三つ目は、加害者ではなく被害を受けた人が「恥」の気持ちや「罪悪感」を得させられやすい犯罪である、ということです。これらは、例えば「喜び」「悲しみ」などの感情と異なり、他者との関係性があって初めて得られる感情です。ですので、被害そのものによって発生するだけではなく、ときには社会も、被害に遭って深く傷ついている人にそういった感情を得させ、彼、彼女たちの回復を遅らせる要因になっている可能性がある、ということになります。

子どもを性の対象にしては絶対にならない

「性の対象」という表現は曖昧ですが、要は、子どもを直接対象にする行為だけではなく、子どもが性に関してなんらかの負担や違和感を感じるようなことを強いられた場合も含む、という意味です。定義はあえて厳格にせず、その子どもがそういう風に感じたのであれば、その事実が重視される社会を作っていかなければ性虐待はなくせない。そして、子どもがその出来事を「被害」と認識できていない場合にもそれは同じです、と中島さんは言います。

ではなぜ、子どもが性の対象にされることから守らなければならないのでしょう。それは、子どもは成長過程にある人間で、刺激に対する耐性も、のちに事件について説明する際に必要とされる思考の整理能力や説明能力も、大人のそれとは異なるためです。人間の脳は25~26歳頃に完成するとのこと。それゆえに、一見大人のように見える外見の子どもでも、「中身は大人ではない」ということ、大人と同じようには自分を守ることができない存在であることを、大人は知っていなければならないのです。

ではさらに、なぜ大人が能動的に動くべきなのでしょうか。それは、子どもは大人からの暴力に対して、物理的のみならず、関係性においても弱い立場にあるからです。

まず、子どもに対する性暴力(※以降:性虐待)の多くは大人によるものです。そして、子どもにとって大人とは、基本的に自分たちを守って、または先導してくれる存在です。子どもは大人と違い、頼れるリソース(人、機関)が限られているため、相談できる先も限られているのです。それゆえに、性虐待被害は、ただでさえ口にしにくい性暴力被害においても、さらに打ち明けられにくくなるのです。

自分が頼りにしている相手から「他の人には秘密だよ」と性虐待を受けたら、誰かに救いを求めたい気持ちと、相手との約束を守らなければならないという気持ちの間で苛まれ、とても強いストレスを受けます。片方の親から受けた性虐待であれば、もう片方の親に伝えたら自分の家族が壊れてしまうかもしれないという強い不安から、本来一番知っていて欲しい人に言えず、ずっと独りで苦しみ続けることもあります。

また、子どもができるかぎりの方法で一生懸命伝えようとしたとしても、大人がそのサインに気づかないこともあります。今まで普通に外出できていた子どもが、急に外出恐怖症になったり、学校へ行けなくなったり。または、子どもが「今日◯◯さんがおうちに来たんだよ」と、大人の反応を見ながら話しかけてきた時に、大人が忙しくそれ以上話を聞いてあげられず、打ち明けられずに終わった、ということもあるでしょう。それどころか、伝わったとしても「あなたの勘違いじゃないの?」など、その子どもの発言を疑うような言葉や、「そんな話、他の人に言っちゃダメだよ」と、その子どもが一人孤独に苦しみを抱えたままでいるように仕向ける言葉を無意識に返してしまうこともあります。

これらの点から、性虐待については、良い関係が築けている子どものことであればきちんと把握できるはず、と子どもの出方を待っていればよいわけではないことが分かります。性虐待は一生にわたって辛く、重くのしかかる記憶として残り、その子どもの残りの人生を大変難しくします。そうならないよう守るためには、大人が意図的に子どもを守ろうと働きかけなければならないのです。

そしてもう一点。加害者はどこにいるどんな人か分からないということ。犯罪発覚時に驚かれない加害者もいれば、「まさかあんな素晴らしい人が。そんなはずはない!」と驚かれる加害者もいます。職種も立場も関係性もさまざまです。家族かもしれませんし、学校や習い事で関わる人、または見知らぬ人かもしれません。

中島さんは言います。本気で性虐待から子どもを守りたいならば、もし自分がそういう目的で子どもに近づこうとするならどういう方法があるだろうか、真剣に考えてみて下さい、と。そうすれば、犯行が気づかれにくい場所が見えてくるでしょう、と。どんな子どもも被害者になり得ますが、より「狙い」やすいのは、周りの人達にサポートされておらず、周囲から孤立した子どもたちです。そういう子どもたちはよりいっそう、他の大人がサポートに入って守らなければなりません。

大人には、加害者像への先入観を捨て、子どもの話に真摯に耳を傾けることが求められています。

偏見と差別のない社会へ

中島さんはご自身が性暴力被害の経験者で、それによる解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)を抱えながら、当事者として今の活動を続けられています。DIDとは、ひとつの身体に複数の人格が存在しているという状態のことです。人格によって話し方どころか性格も思考回路も能力も、文字ごとく別人になる障害です。

米国の統計によると、社会人口の1~2%はDIDを抱えているそうです。これは統合失調症の数値と同じだそうですが、DIDの認知度は非常に低い。なぜか。それは、同じ人間のなかに複数の人格が存在している状態はどうしても奇異な目で見られやすく、それがゆえに公表を躊躇う人が多いからだろうと考えられます。生まれながらDIDを抱えている人はおらず、皆、何かしらの非常に強いトラウマとなる出来事を抱えたことによって、「複数の人格を使い分けなければ生き延びることが難しい状態」になったのです。そうやって頑張って生き続けている人たちにとって、この社会は安心できる社会ではない、と中島さんは言います。

人は「被害者」と耳にすると、体験がなんであろうと勝手に「かわいそうな人」「不幸な人」「弱い人」というような見方をしがちですが、それは被害に遭った人にとっては重たく、不必要な捉え方、偏見で、差別にも繋がります。

それでも、ご自身の障害を明らかにしながら活動される理由を、中島さんは次のように話します。世の中から偏見や差別を減らして、色々な生き方、生き延び方があることが当たり前に思える人を増やさないと、傷ついている人たちの支援もし難いし、傷ついている子どもたちを発見することも難しい。子どもたちを守ろうとする人を増やすことも難しい。そして、社会を安全にするとはそういうことでもある、と。

必要な支援もいろいろあります。物理的証拠がなく、すぐに警察や法律家を頼れない人がまず利用できる施設や医療機関などの連携サービスも大事で、そういったものが揃って初めて、いろいろな人のニーズに応えられる社会をつくっていけるようになるのではないか。法律も時代とともに常に見直しが必要で、被害に遭った人が使おうと思ったときに使いやすいようにしておかないとならない。そして、被害に遭った人が「誰かに言いたいかも」と思ったときに、それが可能な環境が用意されている社会を望みたい――そう中島さんは仰っていました。

 

今回のテーマは、初めて聞かれた方には心にずっしりとくる重いテーマだったかもしれませんが、中島さんのご講演を食い入るように聴き込んでいる方が多い印象を受けました。

本報告文では取り上げていませんが、被害体験により引き起こされるトラウマ症状の深刻性、それがどれだけ生きることを難しくするかという点についても、じっくりお話しいただきました。性暴力はもちろん、子どもにとっての性虐待の恐ろしさ、辛さを強く感じ取っていただける二時間となったのではないかと思います。

質疑応答も盛んで、「もし聞き取りのトレーニングを受けていない状態で、被害にあったかもしれない子どもに出会ったらどうすればよいか」というご質問に対しては、「絶対的な回答はないので、その時に出来ることをするしかないが、支えてあげたいという気持ちがあるならばRIFCR[*]などの勉強をしておくのは一つのよい選択です」というご回答をいただきました。

講師を務めて下さった中島さん、ご参加くださりました皆様、どうもありがとうございました。子どもに対する暴力に敏感な大人の輪を広げていけたら幸いです。

*RIFCR:性虐待を受けた可能性がある子どもに接する際、二次被害を防ぎつつも、後の司法面接にきちんと繋げるための有効な質問方法や気をつけるべき点を学ぶ研修。
【参照】RIFCR™研修 | 子ども虐待ネグレクト防止ネットワーク(CMPN) http://cmpn.childfirst.or.jp/rifcr/

開催日 2015年1月17日(土)
場所 アムネスティ・インターナショナル日本 東京事務所

 

▽連続セミナー第2回講演の報告を読む
  「子どもと性暴力―身近にある現実を知ろう:男の子と性暴力」

▽連続セミナー第3回講演の報告を読む
  「子どもと性暴力―身近にある現実を知ろう:性暴力への予防と支援」

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