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【書評連載08】「紙女」(「われら猫の子」に収録)

星野智幸(著)/「われら猫の子」に収録/講談社 ISBN:978-4062136952講談社 ISBN:978-4062136952 星野 智幸(著)/「われら猫の子」に収録/(C)講談社

星野智幸は、旺盛な執筆活動の傍ら「路上文学賞」という、ホームレス体験者による文学賞を運営している。既存の家族制度や移民、性的マイノリティーなど、現代の政治社会的な問題を扱うことも多い。

短編「紙女」は、小説を愛するあまり紙になりたいと願った女という、奇抜な設定の物語。私にとって星野の小説は、とっつきにくい。ではなぜ読みたくなるかというと、紙になりたがった女と、その女の希望を叶える作家というように、一見突拍子もない人間関係に、興味を引かれるからかもしれない。

「紙になりたい女」と「ホシノトモユキ」の愛は、書く、書かれる、という行為として描かれる。男は女の身体に小説を書き、女は書かれた物語を記憶する。ホシノは物語を紙女の身体に書きつけて「異様な快感に包まれ」る。このシーンでは「耳なし芳一」ふうの情念は、「モノ」と「観念」の合体という、倒錯的行為になる。「モノ」と「観念」、「書く」と「読む」が紙女の身体に合体するうち、ある日紙女は子どもを生む。子どもが成長するにつれて、紙女は自らの言葉をつむぎ始める。そして女は「あなたに成る力が落ちてきた」と言って、紙のように自分を燃やして消してしまう。

はじめ読んだ時は、とにかくへんな話だと思った。確かにへんな話ではあるが、物語にのめりこむと気持ちの上では主人公になりきっても、けっしてなりきれるわけではない。私の場合思春期に読んだ物語(*)で、遠い戦地で爆撃され死んだ主人公の夫の死を、自分の恋人の死であるかのように嘆いたことがある。主人公はその後、かつて自分の馬を世話した召使の愛を受け入れる。しかし主人公に感情的に同化すればするほど、愛していた夫が死んでいった戦争や、主人公が馬とともに生きるイギリスの野が、遠い別世界に感じられたことを覚えている。

紙女の愛も、自分が紙のように薄く感じられてしまうほど物語へ傾倒しても、物語の世界や登場人物を完全に生きることは絶対にできない「切なさ」として読める。その「切なさ」は、誰かが他人のことを理解したいと強く望む愛や、しかしなりきれない、理解できないからこそ自分自身の限界を知るという、他者との関わりにおける根源的体験ともなるものだ。小説やその作家も紙女のような真摯な読者があって初めて、「俺以外の人と交流」(「紙女」のホシノのせりふ)ができる。

紙女はなぜ死ななければならなかったか? 相手の物語を生き通すことができないという「万策尽き、もはやなす術もない不幸の意識」のためなのか。それは既存の小説読者の死、または紙の(小説の)死、なのかもしれない。愛と物語る行為。紙と身体。読み終えた後は思いもかけないものどうしがむすびついて、奇妙なリアリティーを帯びている。
(*ペイトン作 『フランバーズ屋敷の人びと』)

(執筆:書評委員会メンバー C.S)

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われら猫の子 (講談社文庫)

 

【書評連載07】ぼくの村の話

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