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中国 - 1989年 天安門で何が起こったのか?

topic_china_tenanmon.jpg天安門広場に集まる市民。1989年。(C) Hei Han Khiang

1989年4月15日、中国共産党の胡耀邦元総書記(こようほう、Fu Yaobang)が心筋梗塞で亡くなり、翌16日、胡氏を追悼するために北京市内の学生たちが天安門広場に集まりました。胡氏は、言論の自由を含む、中国の政治・経済の改革派として知られていたからです。

胡氏の追悼集会はまもなく、中国の民主化を求める動きとなって拡大していきました。公務員の汚職を非難し、政治・経済の改革を求める学生たちは一般市民にも広く支持され、天安門広場には10万人を超す人びとが集結し、地方都市に広がっていきました。政府とデモに参加する市民との緊張は高まり、5月20日、戒厳令が発令されました。

25年前、1989年6月3日の夜、天安門広場に集まった民主化を求めるデモ隊を排除するため、重装備の部隊と数百の装甲車が北京市内に入りました。部隊はデモ参加者や見物人に向かって銃を乱射、さらに、動けなくなった市民を装甲車で轢き殺しました。北京市内を制圧した後も、軍は独断で人びとを銃殺しました。

topic_china_tenanmon02.jpg 戦車の前に立つ民主化を求める市民 1989年 (C) APGraphicsBank

同年6月末に中国政府が発表した公式報告書によると、3000人以上の市民が負傷し、36人の学生を含む200人以上が死亡しました。アムネスティは、さらに多くの人が殺害され、中国全土で数万人が逮捕されたと推測していますが、中国当局は真相解明を拒み続けているため、詳細はわかっていません。

拘束された市民の多くは警察や軍によって拷問を受けました。その中には、刑務所に送られた後も拷問され続け、身体と精神に長期の後遺症が残った人もいました。また、デモに加わったとして死刑判決を受け数日のうちに処刑された人もいます。多数の市民が不公正な裁判によって、長期の懲役刑を言い渡されました。


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