「人権」ときくと、自分の生活とは関係のないものと思われるかもしれません。しかし実は、私たちの日々の生活を支える、とても身近で大切なものです。ここでは、人権が私たちの暮らしや社会とどう結びついているかを、「権利」という概念をまじえ、考えていきます。

人権が「あたりまえ」をつくっている

自分の思ったことを自由に口にすること、自分の選んだ宗教を信じること、自由に学ぶこと、自分の選んだ人と結婚すること、好きな服を着ること、好きな音楽を聴くこと、病気になったら医療を受けること。これらはすべて、私たちが持っている「人権」です。

たとえば、政府の政策がおかしければ、私たちは、「それはおかしい」と言うことができます。子どもたちはみな、学校で自由に勉強することができます。高熱で苦しければ、病院にいって医師に診てもらうことができます。好きな人と結婚するのも自由。仏教、キリスト教、イスラム教など、自分が信仰したい宗教を選ぶのも、基本的には自由です。

憲法で保障され、今の日本では、「あたりまえ」だと思われているこれらの人権。しかしこれらは、ずっと「あたりまえ」だったわけではありません。これらの人権を「あたりまえ」にしたのは、これらの人権がないために苦しんできた無数の人びとの願いと命をかけた努力なのです。

世界人権宣言(谷川俊太郎訳) 第1条 みんな仲間だ

「権利」って、なんだろう?

「人権」というものは、言葉が示すとおり、権利の一種です。では、そもそも権利とは何でしょうか? 実は、人権を正しく理解するには、「権利」というものをしっかりと理解することが重要になってきます。

権利とは、何でしょうか?少し難しいですが、権利とは「社会全体が護るべき基準(ルール)にのっとり、求めることができるもの」ということができます。

似たような概念として、「道徳」や「倫理」といったものが挙げられます。ただし、「権利」が両者と決定的に異なる点があります。それは、「(誰かに)実現することを要求できる」という点です。権利については、実現しなくてはならない責任者がいるのです。

権利にはいろんな性質のものがあります。私たちは、買い物をするときに代金を払えば何かを所有する権利が生まれますね。カバンを買って代金を払ったのに、カバンを渡してもらえないようならば、私たちは裁判に訴えることができます。権利があるから、私たちはそれを実現してもらうように求めることができるのです。

人権は、いろんな権利の中でも特別に重要な権利です。人間が人間らしく生きるために必要な権利だからです。だから、どんな人間でも、代金を払わなくても求めることができるのです。

世界人権宣言(谷川俊太郎訳) 第6条 みんな人権を持っている

どうして「人権」が必要なの?

では、「人権」という特別な権利がなぜ必要か、ということを考えてみましょう。

私たちが暮らす社会には、色々な権力関係があります。警察と一般の市民。会社の経営者と、被雇用者。学校の先生と生徒の間にも力関係がありますね。

権力は、どのような社会においても、かならず生まれます。秩序をつくるために権力が必要なことも少なくありません。警察がいなければ、強盗や泥棒から身を守るのは大変です! でも、権力はよく乱用されます。「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」という格言もあります。何も策を講じなければ、弱い側は虐げられる一方になりかねません。そこで、権力関係の中でも人間の尊厳が守られるように、弱い側が「人権」という概念を生み出したのです。

人権は、普通の権利よりもずっと重要です。例えば、お金を期限付きで誰かに貸したとしましょう。期限が来れば、返してもらう権利が生まれます。土地を担保にしていれば、代わりに手に入れることができます。でも、借りた人自身を担保にして、返してもらえないときはその人を手に入れる、ということはできません。「奴隷」になったら人間らしく生きることができないので、「奴隷にならない権利」は人権とされているからです。このように、人が尊厳をもって生きるために社会が保障しなくてはならない条件を、人権という「特別な権利」とすることで、簡単に奪われないようにしたのです。

人権を「あたりまえ」に守ることができる社会とは?

人間が尊厳を持って生きるために必要なことを、特別な権利にし、簡単に奪われないようにしたはずですが、世界には現実には人権を奪われている人は少なくありません。なぜなのでしょうか?

それは、権利を守るためには、それなりの仕組み(制度)が必要だからです。私たちは日常生活を送る上で、権利を奪われるということは滅多にないので意識しませんが、権利を守るためにはさまざまな制度が必要です。

たとえば、ちゃんと法律にのっとって裁判が行われること。権利侵害がされた場合に、訴えることができること。自分たちの持っている権利が何か知ることができること、などです。特に重要なのは、社会が法律などの基準に基づいて公正に運営されていることです。このような社会の運営の仕方を「法の支配」と言いますが、法の支配がない社会では、権利を守ることはできません。

偉い人なら悪いことをしても罰を受けない社会なら、権利は守られません。権利が守られない社会では人権も守られないのです。

世界人権宣言(谷川俊太郎訳) 第8条 泣き寝入りはしない

どんな宗教にも、人間の大切さ、平等に関する表現があります。例えば、「万人は、櫛の歯のように平等」(イスラム教)、「人類に階級差などはない。全世界は神に源を持つ」(ヒンドゥー教)などの言葉があります。仏教もキリスト教も、人権と平等の尊さを説いています。

しかし残念なことに、それはなかなか実現しませんでした。今でも、人権を完全に実現することは簡単ではありません。ただ、「権利」という枠組みが基礎となっている社会、すなわち法の支配の実現されている社会の中で、人間が人間らしく生きるための条件も「権利」とすることで、それなりに人権を守ることができるようになるのです。

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