
2003年2月、ダルフールの武装勢力がスーダン政府に対して武装闘争を開始しました。武装勢力は、スーダン政府がダルフールの人びとを差別し、土地や天然資源をめぐる民族間の紛争から市民を保護する義務を果たしていないと主張しました。これに対してスーダン政府は、ジャンジャウィドと呼ばれる民兵組織を支援し、ダルフールの住民を攻撃しました。
紛争による暴力や飢餓と、ジャンジャウィドによる襲撃により、現在までに28万人以上が死亡しました。200万人以上が国内避難民となり、20万人が国境を接する隣国チャドで難民生活を送っています。
2006年5月にダルフール和平協定(DPA)が締結されましたが、その後事態はさらに悪化しました。同年10月、スーダン政府は北ダルフールにおいて、ここ一年で最大の軍事攻撃を開始し、大規模な空爆が行われました。無差別な攻撃や市民への直接攻撃などが行われ、強制移住が増加しています。
さらに、ダルフールの暴力の火種は隣国チャドに拡大しつつあります。ダルフールで住民を襲撃していたジャンジャウィドは、2005年9月ごろからチャド東部で難民やチャド東部住民を襲撃し、その攻撃を拡大しています。2007年 4月時点で約12万人のチャドの人びとが国内避難民となり、ダルフールから逃れてきた20万人以上のダルフール難民とともに、新たな襲撃や武装勢力による強制的な徴兵におびえながら過ごしているのです。
不安定な情勢は、「アラブ」系コミュニティと「非アラブ」系コミュニティの間の緊張を高めています。同時に、スーダン政府とチャド政府は、敵対する武装勢力を支援し、かくまい、武装集団に武器を供給していると、お互いを非難しています。両者の関係は、2006年11月28日、チャド政府がスーダンと「戦争状態」にあると宣言するほどまでに悪化しました。そのため、東部チャドで活動していた国際機関やNGOのスタッフのほとんどが、活動拠点を移すことを余儀なくされました。2006年12月以降、スタッフはアベチェ(東部チャドの中心街)またはヌジャメナ(チャドの首都)で活動を続けています。

アムネスティをはじめとする多くの国際NGO、ジョージ・クルーニーなど著名人が、「最悪の人道危機」と呼ばれるダルフール問題を解決するよう訴えています。世界同時アクション「グローバル・デー・フォー・ダルフール」がこれまでに2回行われ、2007年6月には、アムネスティのMAKE SOME NOISEキャンペーンの一環としてチャリティ・アルバム「メイク・サム・ノイズ:キャンペーン・トゥ・セイヴ・ダルフール」が発売されました。
2004年6月、アフリカ連合(AU)はダルフール派遣団(AMIS)を派遣し、スーダン政府と武装勢力の間で交わされた停戦協定が守られているかどうか、監視を始めました。住民をジャンジャウィドの攻撃から保護することがほとんどできていません。
国連は武器禁輸措置などを決め、国連安保理はダルフールに関する決議を何度も採択しました。2006年11月、スーダン政府はアフリカ連合/国連の合同平和維持部隊を了承したにもかかわらず、その配備の具体的内容に難色を示し続けてきました。
2007年6月17日、スーダン政府はアフリカ連合/国連の合同平和維持部隊の無条件受け入れに合意しました。アムネスティは、「署名だけでは住民を守れない」として、国連安保理とアフリカ連合に対して、合同部隊が住民保護のための強い権限とそれに要する財源と人的資源を得られるようにすることを求めています。さらにスーダン政府に対して、ジャンジャウィドの武装解除など、あらゆる対策を一刻も早く行うよう訴えています。

一方、国際刑事裁判所(ICC)はダルフールの人権侵害について調査し、2007年4月27日、スーダン政府閣僚のアフマド・ハルンとジャンジャウィド民兵のリーダーであるアリ・クシャイブに対する逮捕状を出しました。殺人、財産破壊、略奪、強制的移転、強かん、自由剥奪、拷問、その他の非人道的行為などの人道に対する罪および戦争犯罪の嫌疑で起訴されたのです。
ICCは逮捕状を執行する警察部隊を持っておらず、スーダン政府の真摯な協力に頼るしかありません。しかしスーダン政府は、ICCの逮捕状は「無効で役立たず」だと言い、ICCが2人を裁くことを拒否しています。