イラン:司法制度改善の必要性-アクバル・モハマディさんの拘留中の死

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2006年8月 9日
国・地域:イラン
トピック:危機にある個人
アクバル・モハマディさん(38才、元学生)が2006年7月31日未明に拘留中に死亡した。その死はイランの司法制度全体に暗い影を投じている、と本日、アムネスティ・インターナショナルは述べた。

「アクバル・モハマディさんは正当な裁きを受けられなかったため、モハマディさんの命、彼の家族の人間としての尊厳は奪われてしまった。これ以上イランで拘留中の死があってはならない。刑事裁判制度の徹底した改善が緊急に必要である。」

「政治犯は公正で開かれた裁判が必ず受けられるよう、イラン当局は緊急に措置をとる必要がある。イランの拘置所での拷問やその他の虐待を止めさせ、また医療処置をなかなか与えない、もしくは拒否するというようなことを直ちになくすべきである。」

アクバル・モハマディさんの収容状況を政府高官が調査した後、モハマディさんは薬物の投与を受け、精神状態は安定したが、おそらく合併症も引き起こし、彼の死を招いた可能性を示す報告に、アムネスティは懸念している。

7月21日頃から、アクバル・モハマディさんはハンガー・ストライキを始め、最後の3日間は固形物だけでなく水分を取ることも拒否したという。

検死官(pezeshk-e qanouni)による検死解剖が国内で行われた報告されているが、アクバル・モハマディさんの死因と死に至った状況を究明するためには、独立した調査と完全に独立した病理学者による検死が必要とアムネスティは考える。

超法規的、略式、恣意的処刑に関する効果的予防と調査に関する国連原則の原則9では、「上記の環境において、親族による訴えやその他の信頼のおける筋からの情報により不自然な死であると示唆されているケースを含む、超法規的、略式、恣意的処刑の疑いのある全てのケースは、徹底的で迅速かつ公正な調査を行う。[…] 調査の目的は、死亡の原因、様態と時刻、関与している人物、そしてその死を引き起こした可能性のある慣行を究明することである。それには適切な検視、物理的かつ記録文書的な証拠および目撃者の証言全ての収集と分析が含まれる。」

アムネスティはまた、この最近の拘置所での死を受けて、政治犯のヘシマトラ・タバルザディさん、アハマド・バテビさんおよびアクバル・モハマディさんの兄弟マノチェーさんは、かなりの危険にさらされていると危惧している。

背景情報
1990年代末、イランで行われた新聞社の閉鎖や度重なる表現の自由の取り締まりを受けて学生運動がおき、1999年7月には何千人もの学生が逮捕された。アクバル・モハマディさんもその時に逮捕された学生の1人である。

アクバル・モハマディさんと他の学生は、明らかに不公正な裁判の結果、1999年9月に死刑判決が言い渡された。モハマディさんは、法的代理人の権利や家族へのアクセスが認めらず、隔離拘禁中に残酷な拷問を受けた。国内外からの激しい抗議の結果、1999年11月にその刑罰は懲役15年に減刑された。

逮捕以来、アクバル・モハマディさんはずっと拷問を受けていた。情報省で拘留中、モハマディさんは腕を縛られ激しく殴打されたと言われている。警備官は、容疑を認めるには、まばたきさえすれば良いと言いながら、意識が朦朧となるまで殴った。

入手した情報によれば、イランの司法および刑務所当局が、適切な医療処置を何度も遅らせたり全く与えなかったことが、拘置所でのモハマディさんの死につながったことを強く示唆している。例えば、2003年の11月末、深刻な胃と腎臓の問題、内出血と肺感染症の可能性のため、司法当局はモハマディさんの入院を許可した。1ヶ月の入院が必要だという医師の診断にもかかわらず、1週間後にモハマディさんはエビン刑務所に戻されたのである。

2004年7月から2006年6月まで、アクバル・モハマディさんはイラン北部アモールの実家で医師の治療を受け、そして刑務所での回顧録を書いた。2006年6月11日に再逮捕となり、エビン刑務所に戻され、また家族と面会する権利を拒否された。モハマディさんの弁護士が一度訪問した後、モハマディさんは健康状態がすぐれず、腹部の激しい痛みに苦しんでいたという。刑務所の医療担当者は、治療を受けられるよう刑務所から釈放すべきと忠告したという。

エビン刑務所の情報筋によれば、モハマディさんはハンガー・ストライキを行っていた7月26日頃から医師の診療を求めていたが、彼の要求を拒否した医療担当者によりムハマディ氏は体罰を受けた。7月26日から29日までの間、何らかの治療を受けたというが、エビン刑務所を訪問したイラン議会の派遣団は、モハマディさんが拘留されていた刑務所の区域-おそらく診療所がある場所-の訪問は許可されなかった。

7月29日から30日頃、政府高官が刑務所を訪問した際、モハマディさんは猿ぐつわされ、ベッドに縛り付けられていたという。7月30日、サイード・モルタザヴィさん(テヘラン州検察長)と刑務所幹部2人は、刑務所の警備官1人を連れてモハマディさんを視察し、その時にモハマディさんは何らかの「薬」を投与されたという。モハマディさんの状態はその日のうちに悪化し、7月31日に亡くなった。独立した病理学者により検死が行われるべきとのモハマディさんの弁護士の要求にもかかわらず、7月31日に死体は検死官のもとに移送されたと言われている。

アクバル・モハマディさんの両親は、8月1日火曜日現地時間の午前2時30分にイマム・ホメイニ空港に海外の訪問先から到着した。両親は強制的に旅客機から待機していた車に乗せられ、イラン北部アモールの自宅に直接護送された。エビン刑務所に拘留されているモハマディさんの兄弟マノチェー氏も両親も、亡くなった息子の遺体を見ることは許されなかった。現時点で、モハマディさんの遺体は埋葬されたと報じられている。

アムネスティ国際発表ニュース
(2006年8月1日)
AI Index: MDE 13/086/2006

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