フィリピン:政治的殺害が選挙を台無しに

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2010年5月 8日
国・地域:フィリピン
トピック:危機にある個人
フィリピンの大統領選の候補者は、今年に入って少なくとも5人の候補者と16人の選挙対策責任者が殺害される結果を招いた政治的暴力と闘う方策を示すべきである。アムネスティ・インターナショナルはそのように述べた。

政治的暴力が来る5月10日の大統領選挙を台無しにしつつある中、アムネスティは各候補者に対し、私兵をなくすことを公約するよう訴えた。選挙がらみの攻撃には私兵が関与している。

選挙中の政治的暴力は、2月に公式な選挙運動期間が始まる前に、すでに記録的なレベルに達していた。2009年11月23日、マギンダナオ州で移動中の野党候補者の選挙団員63人が殺害された。

当時の知事であったアンダル・アンパトゥアンとその私兵が逮捕され殺人罪で起訴された。

「マギンダナオの事件は、このような民兵を廃止するための、大統領に対する警告となるべきだった」と、アムネスティ・インターナショナルのフィリピン担当調査員ランス・ラティグは述べた。「どの候補者が勝利しようとも、この選挙を最後に私兵を武装解除・解体する必要がある」

こうした集団の解体のために設立された大統領指揮下の委員会メンバーであるダンテ・ジメンツによると、私兵の数は2009年12月の68人から2010年2月には117人に急増している。

マギンダナオの事件に関する国民の怒りにもかかわらず、グロリア・アロヨ大統領は、私兵を事実上認めた2006年の大統領令第546号を廃止しなかった。

「今回の選挙は、票だけでなく弾丸との闘いだった」と、ランス・ラティグは述べた。「新しい大統領は、アロヨ政権に傷を残した私兵と政治的殺害に取り組む必要がある」

マギンダナオの大量殺人にとどまらず、フィリピンの政治的殺害は、免責の文化によって増幅されたこの国特有の問題であり続けている。毎年何十件も事件が起きているにもかかわらず、実効的な捜査が行なわれることはほとんどなく、起訴されることもまれである。

この選挙期間中、政治的殺害の数は、政敵を消す手段として増加した。殺人以外にも、手榴弾による攻撃などを含む暴力行為が、政党や各候補者の支持者たちを脅迫するために行われている。
アムネスティは、候補者や選挙対策責任者が政治的殺害の犠牲となった以下の9件について把握している。

・市長候補モンタシル・サバンと副市長候補のアブドゥルワハブ・サバンの選挙対策責任者であるカギ・ケトンは、マギンダナオのダトゥ・オディン・シンスアトにおいて政治集会中、手榴弾によって殺害された(4月15日)。

・サン・アントニオ村の村会議員でありラジオ・レポーターであるエドウィン・セグエは、西ミサミス州オサミス市でバイクに乗った殺し屋によって射殺された(4月14日)。

・南ダバオ州のサランガニの議員候補であるマッカーサー・トル・コルテスは、ディゴス市で殺害された(4月12日)

・市長候補ジュンジュン・ビナイの選挙対策責任者であるベルナルド・オラルテは、マニラのマカティ市にある自宅前で射殺された(3月31日)

・サンバレス州副知事候補のウィリー・ヴィロリアはサンバレス州カバンガンの自宅で正体不明の殺し屋たちによって射殺された(3月7日)

・元警察官でパサカオの議員候補であるポンチアノ・ヌメロンは、南カマリネス州において新人民軍(NPA)に殺されたと伝えられている。

・市長候補でプルパンダンの元市長であるルイス・モンディア・ジュニアはイロイロ州ジャロで殺害された(2月17日)

・大統領候補ジルベルト・テオドロの地元選挙対策責任者であるオスカー・アニモは、北スリガオ州タガナ・アンでバイクに乗っているところを殺された(2月2日)

・ソルソゴン州カシグランの議員候補であるジュリオ・ビンボ・エスキヴィアスが殺害された(1月5日)

報道によると、9つの事件のうち8件で、容疑者はいまだに逮捕されていない。

オスカー・アニモの事件では、タガナ・アン警察は3月、3月2日時点で3人の容疑者を逮捕したと報告している。

ルイス・モンディアの殺害からほぼ2カ月が経過した4月5日時点でもなお、プルパンダン警察は逮捕令状の発付を待っていた。

新人民軍によって殺害されたとされる候補者の事件への当局の対応は、より荒っぽいものだった。ポンチアノ・ヌメロンの事件においては、第9歩兵部隊のルペルト・パブスタン少将が第42大隊を率いて容疑者の捜索を行ったということが、4月24日に部隊のウェブサイトで報告されている。しかし、容疑者はいまだに逮捕されていない。

アムネスティ発表国際ニュース
2010年5月6日

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