中国:天安門事件から27年 犠牲者家族に遠のく正義

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2016年6月 3日
[国際事務局発表ニュース]
国・地域:中国
トピック:

天安門事件から27年が経過するにあたり、アムネスティ・インターナショナルは、中国当局に対して、当時の軍の弾圧に対する徹底した捜査を再度求める。また、表現、結社、平和的な集会の自由への市民の権利を保障することも要請する。国際法と世界人権宣言に明記されているこれらの権利は、中国の憲法でも保護されている。

1989年6月3日と4日、人民解放軍が天安門広場で、政治改革を要求する市民に発砲した。この光景は、目撃した者には決して忘れられるものではない。映像や写真、そして生き残った人びとの記憶に永久に保存される。武力で天安門広場から市民が一掃されると同時に、その後数カ月にわたり、国を挙げての弾圧があり、数千人の逮捕につながり、時には流血も伴った。

しかし政府は、軍の弾圧による人権侵害の責任を認めず、加害者を裁くこともしていない。年を追うごとに、犠牲者の家族数百人にとって、正義はますます遠のいている。再度、アムネスティは中国に次のことを要求する。

  • 天安門事件に対する透明性のある独立した捜査を開始し、加害者を裁くこと
  • 人権侵害があったことを公式に認め、犠牲者全員に弾圧に関する説明を行うこと
  • 事件の犠牲者とその家族に、正当な賠償を提供すること
  • 個人への嫌がらせや訴追をやめ、表現の自由や平和的な集会の自由の権利の行使、事件への再評価要求、犠牲者の追悼などをして拘束されている人びとを直ちに釈放すること

1989年の弾圧で今もなお獄中にいる苗徳順(Miao Deshun)さんは、今年後半に釈放される予定だ。

しかし、当局は、依然として歴史をもみ消し、犠牲者の追悼や当時の民主化運動を考察しようとする人びとを訴追している。印刷物やインターネットで天安門事件に触れると、検閲され摘発される。

昨年5月、労働活動家であり民主活動家の劉少明(Liu Shaoming)さんは、天安門広場での民主化運動に参加したことや、1989年6月3日と4日の事件で目撃したことをブログに投稿し、直後に拘束された。劉さんは、その後正式に「国家政権転覆扇動」容疑で逮捕された。今年4月15日に劉さんの公判が行われたが、判決はまだ出ていない。劉さんが投稿したブログは、起訴の証拠の一部として使われた。裁判での最終陳述で劉さんは、なぜ天安門事件に関する記事を書いたのか、毅然とした態度で次のように述べた。「目的と動機は、人びとがその歴史の一片を忘れることなく、思い出したくもないその時のことを回顧し、悲劇の歴史を繰り返さないために警告することだ」。

今年1月、唐荊陵(Tang Jingling)さん、袁新亭(Yuan Xinting)さん、王清營(Wang Qingying)さんは、広州市中級人民法院で「国家政権転覆扇動」罪で有罪を言い渡された。天安門事件の犠牲者を追悼するための平和的なキャンペーンに3人が関与したことが、有罪判決の証拠として扱われた。3人はそれぞれ5年、3年半、2年半の懲役刑を言い渡された。

4月、著名な弁護士の浦志強(Pu Zhiqiang)さんは、北京の裁判所で「騒乱挑発」と「民族憎悪扇動」の罪で有罪となり、弁護士資格をはく奪された。浦志強さんは、2014年5月に、1989年の天安門事件で起こった弾圧について調査を求める集会に参加した後に拘束された。

4月28日、かつての学生リーダーであり現在はビジネスマンである于世文(Yu Shiwen)さんの妻は、最高人民法院に宛てた公開書簡を書いた。その内容は、夫の公判が開かれず、判決も言い渡されず、釈放もされない不確定状態を非難するものだった。于さんは2014年5月に拘束された。1989年の軍事弾圧の犠牲者を偲び、抗議者たちに寛容であった当時の共産党総書記・趙紫陽を追悼する行事に参加した後のことであった。于さんは昨年2月に「騒乱挑発」容疑で起訴された。彼は2年以上拘束されていることになる。現在、ハンガーストライキ中である。

香港の華字紙「明報」によると、2016年5月、成都在住のある男性が「国家政権転覆扇動」容疑で刑事勾留された。問題となったのは、彼が販売した白酒のラベルが、1989年の軍事弾圧を思い起こさせるものであったことだ。ラベルには「銘記八酒六四--中国北京」と記されてあった。中国語で「酒」の発音は「九」の発音と同じである。つまりこのラベルは「八九六四」、すなわち軍事弾圧があった1989年6月4日と読めるのだ。さらにはラベルには、天安門事件を象徴する「戦車男」の絵が描かれ、「永不忘記、永不放棄」(決して忘れない、決してあきらめない)の文字も記されていた。この酒のことを微信(ウィチャット:中国のオンライン・メッセージサービス)で宣伝した女性詩人、馬青(Ma Qing)さんもまた、警官に連れ去られた。

残念ながら、時間は、正義を追求する事件生存者や犠牲者家族に味方しない。天安門事件の捜査、事実の解明や賠償を求めてキャンペーンを続けてきた「天安門の母たち」というグループがある。このグループの創設者の一人である蔣培坤(Jiang Peikun)さんは、息子の蔣捷連(Jiang Jielian)さんについて正義が実現するのを見届けないまま、昨年にこの世を去った。蔣捷連さんは1989年6月3日の夜に、心臓を撃ち抜かれた。

正義を求める「天安門の母たち」の叫びは、明白である。現在必要なことは、開かれた誠実な方法で1989年の事件に向き合う、政治的な勇気とリーダーシップだ。たとえ正義の実現が遅れたとしても、その実現が否定されるようなことは許されない。

アムネスティ国際ニュース
2016年6月1日

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