中国:習近平だけでは国は立ち行かない

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2017年11月 6日
[その他]
国・地域:中国
トピック:

「鉄を打つには自身が強くなければならない」--- 2012年、習近平氏が権力の座に着いた時、こう発言した。この5年を振り返ると、このありふれた格言が、同氏の政治理念のまさに核となってきたように思える。

習主席はその理念に沿って、自身の権力基盤を固めるために前例のない攻勢をかけてきた。官僚体制内の派閥や利益集団の解体に、大衆受けする反腐敗運動を巧みに利用した。太子党(中国共産党の高級幹部の子弟グループ)から軍隊まで、石油財閥から国有企業まで、中国共産主義青年団から気まぐれな自治体幹部まで、潜在的抵抗分子を、「党の規律違反」でことごとく逮捕、降格、拘禁した。

習主席はまた、草創期にある市民団体の出端を折り、党への忠誠を期待できない反体制派、批評家、弁護士、文筆家、NGOなどに、国家治安要員をさし向けた。天安門事件後の暗黒の日々を想起させるこの弾圧は、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波(Liu Xiaobo)が、当局の厳重に警備する病院で病死するという異様な事態で極まった。

反対派を排除する一方、習主席は、報道機関と大学に対する思想管理の強化とインターネットの徹底した検閲による「思想工作」と宣伝活動の抜本的改革で、国民の支持獲得に注力した。

洗練された形で伝えられる「国の若返り」と、中国という大家族を統治する、慈悲深いが断固とした「習おじさん」への個人崇拝ともとれる説得力のある語りが、効果的で、かつてない人気を習主席にもたらした。

今回の第19回党大会では、習主席を鄧小平以降の最強の指導者として持ち上げられるのは、疑いの余地がないだろう。

とはいえ、同氏が公言した「鉄を打ち」始めるにはこれで十分なのか。前例を見ない権力の集中により、「中国モデル」(中国流の社会主義強国)を脅かす数多くの問題に対処する経済的、社会的改革ができるのか。問題を悪化させることにならないのか。あるいは、同氏の人権蔑視は、国が是が非でも避けたい社会不安を引き起こさないのか。良くない兆候はあり、その多くは習主席が引き起こしたものだ。

その一つは、自らが導入した巨大な国家安全保障構造である。サイバー・セキュリティからテロ対策までの新たな6つの法令は、保安機関に無制限の権限を与え、法の枠外での活動と企業や個人への強大な権力の行使を認めている。反対派を壊滅するには効果的だが、国の管理を受けない無責任な機関を作り出し、市民や実業界から信頼される公正な法制度を確立しようとしてきたこの数十年の取り組みを頓挫させる。

もう一つは、自由な情報と表現の息の根をとめる弾圧だ。ストライキやデモなどの情報を集めていたブロガーを投獄し、ケンブリッジ大学出版局に圧力をかけ、当局にとって「微妙な問題」を扱った科学出版物を回収させ、ジャスティン・ビーバーの中国公演に待ったをかけるなど、検閲機関の対象は際限がないように見える。しかし、そのほとんどが的外れである。これらの圧力により、同国は国連加盟国として、あるいは人権などの国際条約の締約国として、国際的な義務に背を向けるばかりでなく、グローバルな情報化時代では悪影響を与える存在となっている。情報の操作による目先の利益より、多様な意見を封じることによる長期的なマイナスの方がはるかに大きい。

国内外の投資の拡大に関する報道で他国の指導者の多くが、習主席の中国と手を組むことに躍起だが、現実は、習氏によって改革開放時代の成果が危険にさらされている。国の限界を認め若干の権利を市民に与えることで、経済を上向かせ、国際社会で信頼される国になりつつあったというのに。

第19回党大会が真に問われるのは、習主席の権力強化となるかではなく、中国の一般の人びとがその恩恵を受けられるか、である。過去5年間をみると、その答えは否、である。

2017年10月18日
ニコラ・べクラン(アムネスティ・インターナショナル東アジア地域事務所長)

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