人間らしく生きたいキャンペーン:史上最悪の化学工場事故から25年 ボパールの悲劇は終わっていない

史上最悪の化学工場事故から25年ボパールを忘れるな!

1984年12月2日の深夜、米のユニオン・カーバイド社の現地資本の殺虫剤工場から何千トンもの有毒ガスが流出し、インド中部のボパールの町を一瞬のうちに汚染しました。

事故直後に7000人以上が、その後1万5000人以上が亡くなり、現在までの被害者は50万人以上にのぼります。25年経ったいまでも汚染物質は残ったまま、流出事故の正確な被害は調べられておらず、10万人以上が必要な医療を受けられません。

あの日から25年。「ボパールを忘れるな」というメッセージを送ってください。

貧困への転落

玄関先に膝を抱えて座り込んでいるナンニ・バオさん。事故で夫を亡くした。玄関先に膝を抱えて座り込んでいるナンニ・バオさん。事故で夫を亡くした

この事故でボパールの多くの人びとは家族を失い、収入源である家畜を失い、有毒ガスの身体への影響で働けなくなりました。事故の4年後に、ユニオン・カーバイド社とインド政府との間で補償金4億7千万ドルの示談が成立しました。しかしそれでは十分とは言えず、多くの被害者は、無料であるべき医療費を支払わなければなりませんでした。また、女性は、有毒ガスにさらされたというレッテルを貼られて差別を受け、結婚を断わられることもありました。

責任を逃れようとするユニオン・カーバイド社

ユニオン・カーバイド社は、緊急時の地域住民のための行動計画を作っておらず、危険物質を含むタンクに安全装置もつけていませんでした。毒性が高いイソシアン酸メチル(MIC)が2万4500kg、反応性物質が約1万1800kgも流出し、多くの地域住民が亡くなったにもかかわらず、同社はMICに毒性はないと主張しました。

ボパールの悲劇の直後、ユニオン・カーバイド社は救済支援を用意したものの、結局、工場地域の汚染を十分に除去せず、ボパールを去りました。2001年、同社はダウ・ケミカウの子会社となりました。ダウ・ケミカル社はボパールの事件について責任はないと主張し続けています。

インド政府は十分に対応したのか?

横断幕を持ち、行進する人びと。責任と賠償を求めてニューデリーを行進する生存者や遺族。2006年。責任と賠償を求めてニューデリーを行進する生存者や遺族。2006年

危険な物質の処理が行われていたボパールの工場において、インド政府が地域住民や環境への影響について調査したり、工場の安全性を確認したという事実はありません。インド政府はボパールの住民の安全を軽視していたのです。

誰のための法?

1991年、ボパールの裁判所はユニオン・カーバイド社のウォーレン・アンダースン社長に、過失致死の容疑で出頭を命じました。しかしアンダースン社長は現れず、米当局は同社長の身柄引渡しを拒否しました。米国の裁判所は、ボパール事件をインドの裁判所に送るよう求める申し立てを、ユニオン・カーバイド社がインドの裁判所の管轄権に従うことを条件として支持しました。これに対して同社は、インドの裁判所には「米国では当然のこととして要求される適正手続の基準がない」と主張しました。

2004年から始まったインドの公益訴訟で、高裁は政府にボパールの汚染除去と救済を命じましたが、政府は実行していません。

ボパールの人びとは25年にもわたり正義を求めています。彼らは、汚染の除去、公正な補償、説明責任を求め、ボパールからニューデリーまでの800キロにも渡る行進や、集会、請願、ハンガーストライキなど絶え間なく活動を続けています。

 

締切日 アクション終了
配信先 ダウ・ケミカル社の最高経営責任者
キャンペーン 人間らしく生きたい