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世界の先住民族/少数民族 - アイヌ民族

アイヌ民族

アイヌ民族は近代以前には、本州最北端、北海道島、樺太、千島列島を生活圏として、交易、狩猟、漁労、粗放的農業などを営み、独自の社会・文化を発展させてきました。日本列島の本州以南と、樺太やカムチャッカの北方諸民族社会とを交易で結び、交易のための商品生産活動と、交易によってもたらされた商品とを重要な要素として、アイヌ文化を形成してきたのです。

中世以降、道南部に和人の居住がはじまり、18世紀末までいくたびかの戦争を経て、アイヌ社会の側は徐々に自律性を失っていきます。商品の交換率の悪化、漁業労働への強制的徴用、これにともなう暴力、性暴力、詐欺、伝染病の持ち込みなどによりアイヌの人びとは苦しみます。

同化と差別

明治時代になると新政府により、さまざまな法律・規則がしかれます。政府はアイヌ民族の土地や資源の伝統的使用・所有を認めず、土地については払下げや貸下げ、強制移住を実施しました。狩猟や漁業活動についてもさまざまな制限を加えました。まったく異なる社会制度への暴力的編入という植民地的経験のなかで、アイヌ社会は困窮の度合いを深めていきました。伝統的習俗や祭祀は禁止されますが、観光や興行、皇室の行幸啓などの国家的行事に際してはその民族性が強調され、利用されました。この時代以降、独自の文化の伝承は大きな制限を受けていきます。

1899年に制定された「北海道旧土人保護法」(1997年廃止)は農業奨励、弱者救助、アイヌ集住地への学校設置などを定めるものでしたが、この法律に基づき与えられた土地は相続以外での譲渡に制限がなされ、また設置された学校(?1937年)は簡易、経費節減、分離教育を旨としたものでした。こうしたことから1920?30年代以降のアイヌ民族自身による活動組織の結成後、同法は差別的法律として批判の対象となってきました。

「開拓」の進展とともに、一般の人びとの間に広がり今日まで残る、アイヌ民族に対する差別や偏見の背後には、同時に制度的な差別が存在していたのです。

先住民族運動の展開

1997年、「二風谷(にぶたに)ダム判決」と呼ばれる判決が札幌地裁で下されました。二風谷は北海道日高地方を流れる沙流川流域の集落で、アイヌの人びとが多く生活してきた場所です。裁判はアイヌ出身者として初の国会議員である萱野茂氏らが、工業用水のため建設された二風谷ダムについて、土地収用委員会の決定を違法であるとして、その取り消しを求めたものです。判決は、アイヌ民族が自由権規約第27条により自らの文化を共有する権利を保障された少数民族であるとし、こうした権利は日本国憲法13条によっても保護されると指摘しました。また同時にアイヌ民族が先住民族であると認め、このことから、通常の少数民族の場合以上に配慮を要するとして収用裁決を違法としました。

二風谷ダム裁判の判決と同じ年、「アイヌ文化振興法」(略称)が成立しました。アイヌ民族の尊厳の回復と文化振興を目的とするこの法律に基づいて、アイヌに関する研究・言語振興・文化振興・理解の促進を行う「アイヌ文化振興・研究推進機構」が設立され、「旧土人保護法」は廃止されました。 「振興法」は1984年に北海道ウタリ協会が総会で議決した「アイヌ民族に関する法律(案)」から議論がはじまり制定にいたったものですが、国会における特別議席の設置やアイヌ民族自身がその使い道を決定できる自立化基金の設立、アイヌ民族に関連する問題をとりあつかう「審議機関」設置などの条項は削除されています。

現在、2007年9月に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」にもとづき、今後のアイヌ民族政策の内容を検討する「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が作業を進めています(メンバー8名中、アイヌ民族は1名、ウタリ協会理事長の加藤忠氏のみです)。

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