イスタンブールのガラタサライ広場には毎週土曜日になると、「土曜日の母」と呼ばれる女性たちが集まってきます。彼女たちは、1980~90年代に起こった軍事クーデターなどで殺されたり行方不明になったりした市民の母親たちです。1995年に始まって以来、政府に対し公正な調査を求める場となってきたこの広場は今、堅牢な金属のバリケードで包囲されています。
集会が始まって700週目を記念する集会が開かれた2018年8月、警察当局は催涙ガスやプラスチック弾などを無差別に使用しながら、広場に集った数百人もの人びとを強制的に解散させました。それ以来、広場は警察によって封鎖され、人びとは抗議活動を中断せざるを得ませんでした。2023年には抗議活動の再開が許可されたものの、人数はたったの10人に制限され、広場にはバリケードが残されたままです。
母親たちはこの広場を「お墓のない家族と会える場所」と呼び、とても大切にしています。平和的な抗議集会は基本的人権であり、これを不当に制限したり、抗議者を排除したりするべきではありません。
「土曜日の母」たちが再び広場に集まれるよう、トルコ政府に訴えてください!
期 間: | 2024年4月26日~未定 |
要請先: | レジェップ・タイップ・エルドアン大統領 |
※要請先に、あなたの名前、メールアドレスを配信元として直接メールを送ります。
「土曜日の母」たちは、1980年代から1990年代にかけて治安当局に身柄を拘束されたまま行方が分からなくなってしまった家族のために、たゆまず抗議の声を上げてきました。1995年5月、イスタンブール中心部のガラタサライ広場で、彼女たちは犠牲者の行方について当局に説明するよう求める平和的な集会を始めました。それ以降、当局からの脅迫や恣意的な拘束を受けながらも、1999年3月まで集会は続けられましたが、強権的な弾圧に直面した彼女たちは活動を中断せざるを得ませんでした。その後の10年間で、真相解明に進展がなかったため、2009年1月に彼女たちは再び広場に集まりました。
「土曜日の母」たちは、平和的な集会を行っただけで繰り返し厳しい弾圧を受けてきました。表現と集会の自由を侵害するこの弾圧について、トルコ当局が合理的な説明を行ったことはありません。2018年8月には、機動隊が催涙ガスや水鉄砲、ゴム弾などの過剰な武力を用いて、平和的に集まった数百人もの人びとを強制排除しました。「広場が集会のための指定場所ではなく、また集会の事前通知を受けていなかった」ために、広場のあるベヨウル地区の知事から出された禁止令による強制排除の中で、47人が拘束されました。そのうち46人は2021年に「警告があったにもかかわらず解散を拒否した」という罪で起訴され、この裁判は2024年3月現在も続いています。
2023年11月、彼女たちは再び広場で抗議行動を行うことを許可されましたが、人数は10人に制限され、広場に残されたバリケードの前での抗議行動となりました。集会の再開は、彼女たちが粘り強く求め続けた成果ではありますが、それでもなお、平和的集会の権利は制限されたままです。2022年と2023年には憲法裁判所が、抗議者たちの集会の自由が侵害されていることを認め、当局に弾圧をやめるよう要求する判決を出しています。