「大切なのは、"違い" をやわらげること」

イーデス・ハンソン さん(C)特定非営利活動法人エファジャパン

私が日本にきたのは1960年。アムネスティができたのは、その翌年やね。

当初、アムネスティ日本のことは知らなかった。そしたら、78年に突然、電話をもらった。「人権デーのシンポジウムにゲストとして出て欲しい」って。それで、当日の会場に行ってみると、印象がとてもよかった。学生、主婦、サラリーマンがごちゃまぜ。日本では、珍しい光景よね。

それから、個人会員、グループ会員になり、気付いたら副支部長、支部長と、深みにはまってた(笑)。

生まれはインドやけど、小学生のときにインドがイギリスから独立したの。そのときに、宗教同士の衝突が激化。内乱みたいなもん。

それで、大勢の人が殺された。でも私には、どうして人びとが殺し合うのかわからなかった。親に聞くと、「宗教が違うから殺されているんだ」って言われた。でも、それがわからない。「宗教が違うだけで殺されるんだったら、私も親も殺されるはずや」と思ってた。

その後、インドからアメリカに戻った。当時、黒人と白人の学校が別々だった。「なんで?」と聞いたら、「うちらと違うから」といわれた。「何が違う?」って聞いたら、「白か黒か、 見たらわかるやろ」といわれた。

「違う」ということだけで、人が思うような生活ができない。極端な場合は、殺される。これは、おかしいよね。もし自分がみんなから「違う」といわれた場合は、どうやろ、と思 う。「助けてほしい」と思うはずよね。「違い」に対する拒絶反応を変えることが大事。違いをなくすことはないよ。違いがあって当然だから。だから、たまたま恵まれている人は、自分の余裕をそのために使えばいいと思う。たまたま余裕のない立場の人に対して。

アムネスティと出会うまでは、なんかしたい、せなあかんと思っていて も、続けられる形がなかった。アムネスティの活動は日常的にできる。手紙書きとか、少しかもしれないけど続けられる。自分の関わり方を自分で決められるのも、すごく好きなとこ。


イーデス・ハンソン(Edith Hanson )さん/プロフィール

インド北部のマスーリで生まれ、9 歳まで育つ。1960 年に来日し、タレント活動を開始する。ユニークな大阪弁と舌鋒鋭い論評で、テレビ・ラジオ・雑誌対談などで人気を得る。1986 年から1999 年までアムネスティ日本の支部長を務め、現在は特別顧問。2010 年度より、近畿大学総合社会学部の客員教授を務める。

 

鴻上尚史 さん(劇作家・演出家)