強制失踪について知っておきたいこと

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2013年9月 3日
[国際事務局発表ニュース]
国・地域:
トピック:危機にある個人

2013年5月10日メキシコシティーの集まりに強制失踪者の母親たちが参加した (C)Amnesty International/Ricardo Ramírez Arriola
2013年5月10日メキシコシティーの集まりに強制失踪者の母親たちが参加した (C)Amnesty International/Ricardo Ramírez Arriola

毎年、世界の多くの国で、何千人もの男女や子どもが、政府により理由もなく拉致され、行方不明になっている。彼らは、「強制的失踪者」なのだ。アムネスティ・インターナショナルの調べでは、2012年だけでも、この種の強制的な失踪事件は31カ国で起きている。国際失踪者デーである8月30日に際して強制失踪について知っておきたいことをまとめた。

2年前、シリアの武力紛争へと発展した暴動が起きて以来、国家権力による強制失踪が再び激増している。反対派を黙らせ、その家族や友人に恐怖を植え付ける目的から、何千人もの人びとが逮捕されているのだ。その多くが外部から連絡が取れない隔離された場所に拘束され、日常的に拷問などの虐待を受けているという。また、1970年代後半から1980年代前半にかけて、イスラム主義者を中心に約17,000人が行方不明になっている。

スリランカでは、1980年代以来、国連に対する強制失踪の申し立てがおよそ 12,000 件にのぼる。しかし実際の行方不明者数は、申し立て件数よりはるかに多く、1994年までで3万件、それ以降は数千件にのぼる強制失踪が報告されている。

メキシコでは、2006年から2012年の間に 26,000 人が行方不明になっているが、その多くが麻薬カルテルと治安部隊の衝突の中で行方不明になった。治安部隊が加担しているケースがいくつかあるが、ほとんどのケースは捜査がおざなりで、被害者が発見されることはまれであり、加害者が責任を問われことは、事実上皆無である。

アムネスティで把握している2012年の強制失踪の3分の1以上がサハラ以南のアフリカの国、つまり、アンゴラ、チャド、コートジボワール、コンゴ民主共和国、赤道ギニア、エリトリア、ガンビア、マリ、モーリタニア、ナイジェリア、南スーダンなどで起きている。

親族は繰り返し捜索を訴えているが、本来は国際法に則って捜査と犯人告発を担うべき国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)が、1989-1998年のコソボ軍事紛争で起きた何百件もの失踪・誘拐事件の捜査を行っていない。

事例

シリア

2012年10月2日、シリアの人権弁護士カーリル・マツークさんは、アシスタントと自分の事務所に向かう途中で行方不明になった。通勤路にあるシリア政府の検問所で、拘束された模様だ。

マツークさんは、シリアで長年人権侵害の被害者に法律上のアドバイスを提供し、何百人もの政治犯や報道記者、良心の囚人の弁護を行っていた。

2013年2月、弁護士グループからの情報開示の要求に対し、ダマスカスの検察官はマツークさんの拘束を否定した。しかし当時、国家保安局のダマスカス支部から釈放された被拘束者は、同氏を目撃したことを証言している。

2人に近い人物が、丹念に入手した情報によると、マツークさんの健康状態は極めて悪く、進行した肺疾患のために重大な呼吸困難に陥っているが、定期的に投薬を受け、常に医師の管理下にあるという。

アンゴラ

アンゴラ内戦の退役軍人であるシルバ・アルベス・カムリングさんとイサイア・カスレさんは、ルアンダの路上で、2012年5月27日と29日にそれぞれ拉致されて以来、消息不明となっている。彼らの家族は手がかりがないまま捜索を続けているが、アンゴラ政府は2人の所在について、一切の関与を否定している。

シルバさんは、年金と給与の支払を求める抗議団体の結成に携わり、その抗議運動に向かう途中の27日午後3時頃、「体格のよい男たち」に後をつけられているとある報道記者に電話している。その直後、連絡が取れなくなって以来、行方が知れないままである。

カスレさんは、シルバさんの誘拐現場を撮ったビデオを持っているという男に会っていたとき、男4人に拉致された。友人によれば、一台の車が現れ、体格のよい男数人が降りてきて、彼らの方へ向かって歩いてきたという。

メキシコ

アルマンド・デル・ボスクさんは8月3日、タマウリバス州で、メキシコの海兵隊に拘束されて以来、行方不明となっている。

海軍当局は、拘束を否定しているが、複数の目撃者が、海兵隊がボスクさんが運転する車を止め、車から引きずり出し、手錠をかけて軍用車で連れ去るのを見たと証言している。

その後ボスクさんは、郊外にある海軍の仮収容所へ連行されたが、その数分後に収容所に到着した父親に対応した大尉は「ボスクさんは逮捕されて尋問を受けている」旨を告げたという。

その一時間後、士官が「大尉は息子さんが逮捕されていないと言ったのだ」と否定し、それ以上の情報の提供を拒否した。

コソボ

ペトリジャ・ピルジェビさんは1999年6月28日、プリシュティナの自宅アパート前でコソボ解放軍(KLA)の制服姿の3人に拉致された。

翌年、ピルジェビさんの遺体が見つかり、息子の下へ返されたが、この件について法的な責任を問われた者はいない。

2013年、UNMIKが設立した人権審議会は、ピルジェビさんの拉致について、国連の国際警察が早急に適切な捜査を行わず、2003年に捜査を中断した際も息子への報告を怠ったと指摘した。

アムネスティ国際ニュース
2013年8月30日

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