アムネスティ誕生60周年

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2021年7月13日
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独裁政権下のポルトガルで2人の若者が「自由に乾杯」しただけで逮捕された件に対する憤りに端を発し、「普通の人たちが力を合わせれば、世界を変えることができる」という考えのもと、1961年に誕生したアムネスティ・インターナショナル。今では1千万人がその力を結集して、あらゆる場所で正義、平等、自由のために闘っています。

変化は一夜にして起こるものではありません。粘り強さが要求されます。時には挫折感を味わうこともあります。しかし、変化をもたらす人間の力を信じ続けた結果、信念や生き方を理由に投獄された何万人もの人たちが釈放されました。100近くの国で死刑が廃止されました。これまで手が届かない存在だった国の指導者たちを裁きにかけることができるようになりました。さまざまな国で法律が変わり、人びとの人生が変わりました。

60年経った今でも、人権問題は山積しています。すべての人が人権を享受できる世界が達成されるまで、私たちの闘いは続きます。変化は必ず起こせると信じて。

人権のために闘って60年〜これまでの歩み〜

1961年 ピーター・ベネンソンが、思想や信条などのために不当に収監された「良心の囚人(※1)」の釈放を求める、世界的なキャンペーン「Appeal for Amnesty」を開始。これをきっかけに、アムネスティ・インターナショナルの活動が始まった。

独裁政権下のポルトガルで2人の若者が「自由に乾杯」しただけで逮捕された、という記事を読んで衝撃を受けた英国の弁護士ピーター・べネンソン(写真左) は、1961年5月28日、英国オブザーバー紙に「忘れられた囚人たち」と題された記事を投稿(写真右)し、キャンペーンへの参加を呼びかけた。

独裁政権下のポルトガルで2人の若者が「自由に乾杯」しただけで逮捕された、という記事を読んで衝撃を受けた英国の弁護士ピーター・べネンソン(写真左) は、1961年5月28日、英国オブザーバー紙に「忘れられた囚人たち」と題された記事を投稿(写真右)し、キャンペーンへの参加を呼びかけた。

1962年 最初の調査団をガーナに派遣。以降、アムネスティは世界各国で独自に調査を行って人権侵害の存在を明らかにしていく。
1963年 最初の「良心の囚人」が解放される。
1964年 国連経済社会理事会との協議資格を取得。
1965年 初の報告書を発表。ポルトガル、南アフリカ、ルーマニアの刑務所環境に関するもの。

ポルトガル、南アフリカの刑務所環境に関する最初の報告書の表紙

ポルトガル、南アフリカの刑務所環境に関する報告書の表紙

1966年 設立以来1,000人の「良心の囚人」が釈放される。
1969年 設立以来2,000人の「良心の囚人」が釈放される。

※1良心の囚人:暴力も用いていないのに、信念や信仰、人種、発言内容、あるいは性的指向を理由として囚われている人たちのこと。

1970年 日本支部創設
1972年 拷問撲滅キャンペーン開始
1973年 UA(緊急行動)(※2)開始。政治的理由で逮捕された、サンパウロ大学の歴史学の教授であり、政治活動家だった大学教授ルイス・ロッシさんの釈放を求める手紙を書くよう世界に訴えた。翌年12月にルイスさんは釈放された。

釈放から20年以上経った1995年12月にサンパウロで行われたアムネスティの会議で、ルイスさん(写真右から2番目)は「私のケースが世間の知るところとなり、もう殺されることはないのだと思いました。私に対する当局の扱いも変わりました」と語った。

釈放から20年以上経った1995年12月にサンパウロで行われたアムネスティの会議で、ルイスさん(写真右から2番目)は「私のケースが世間の知るところとなり、もう殺されることはないのだと思いました。私に対する当局の扱いも変わりました」と語った。

1977年

死刑廃止のための闘い始動。当時死刑廃止国は16カ国。2020年は108カ国に。

1977年12月、アムネスティは死刑廃止に関する国際会議を開き、死刑は生きる権利の侵害であり、残虐で非人道的な刑罰であると宣言(ストックホルム宣言)

1977年12月、アムネスティは死刑廃止に関する国際会議を開き、死刑は生きる権利の侵害であり、残虐で非人道的な刑罰であると宣言(ストックホルム宣言)。

ノーベル平和賞受賞
1978年 国連人権賞受賞

※2 UA(緊急行動):深刻な人権侵害に直面する人を救うため、その国の元首や政府関係者などにメールや手紙などで改善を求める緊急アクション。

1981年 強制失踪問題に対するキャンペーン開始
1984年 長年にわたるキャンペーンが実り、拷問等禁止条約が採択される。1987年発効。

拷問撲滅を訴えるキャンペーン。アムネスティは拷問を例外なく明確に禁じ、拷問した者を罪に問うことができる条約を作るよう、国際世論に訴え、国連に要請。条約の草案作りにも深く関わった。

拷問撲滅を訴えるキャンペーン。アムネスティは拷問を例外なく明確に禁じ、拷問した者を罪に問うことができる条約を作るよう、国際世論に訴え、国連に要請。条約の草案作りにも深く関わった。 © Ole A. Buenget

1985年 難民のために活動することを決定。
1986年 アムネスティ米国支部がロックコンサートツアー「Conspiracy of Hope」を開催。

ロックコンサートツアー「Conspiracy of Hope」.jpg

U2、スティング、ジョーン・バエズ、ブライアン・アダムス、ジャクソン・ブラウン、ルー・リード、ピーター・ガブリエル(敬称略)などが参加。1986年6月に10日間で6回の米国ツアーを行った。1988年には世界6大陸を回るワールド・ツアー「ヒューマン・ライツ・ナウ」へと拡大。日本でも東京ドームで公演が行われた。 © Ken Regan/Neal Preston - courtesy of Amnesty Internationa

アパルトヘイトに抗議して南アフリカの国会議員や影響のある人びと1万人以上に手紙を書く。

1991年 反政府武装組織による人権侵害に取り組んでいくことを決定。
1993年 創立を働きかけていた国連人権高等弁務官事務所が誕生。
1994年 女性の権利に関する大規模な国際キャンペーンを展開、翌年の「北京宣言(※3)」にも寄与。
1998年 長年の働きかけにより、国際刑事裁判所(ICC)設立のための国際条約(ローマ規程)が採択される。2002年発効。

国境を越えて人権侵害の加害者個人を裁くことのできる国際刑事裁判所(ICC)設立を求めるデモ。およそ1,000人が地面に横たわり、ジェノサイドや戦争犯罪の犠牲者を表現した。

国境を越えて人権侵害の加害者個人を裁くことのできる国際刑事裁判所(ICC)設立を求めるデモ。およそ1,000人が地面に横たわり、ジェノサイドや戦争犯罪の犠牲者を表現した。© Antonio Sesta

1999年 少年兵の問題に光を当てる。

※3 北京宣言:ジェンダー平等と女性のエンパワーメントに向けて各国政府が取り組むことを表明した宣言。

2001年 創立40周年。これまでに釈放された良心の囚人は47,000人以上。
2003年 武器の国際取引を規制する条約を求める「コントロール・アームズ」キャンペーンをオックスファムなどとともに開始。
2004年 女性への暴力を阻止するキャンペーン始動。

紛争や家庭内での女性に対する暴力を阻止するキャンペーン「Stop Violence Against Women」。

紛争や家庭内での女性に対する暴力を阻止するキャンペーン「Stop Violence Against Women」。

2005年 音楽を通じて人権の大切さを訴えるプロジェクト「メイク・サム・ノイズ」を立ち上げる。

音楽を通じて人権の大切さを訴えるプロジェクト「メイク・サム・ノイズ」

ヨーコ・オノさんから『イマジン』とジョン・レノンさんの全ソロ曲集の収録権の提供を受け、さまざまなアーティストがジョン・レノンさんの曲をカバー。2007年にはダルフール危機のためのチャリティ・アルバムを発売。

2006年 ネルソン・マンデラさんに「良心の大使賞(※4)」を授与する。

ネルソン・マンデラさん

ネルソン・マンデラさん © Jurgen Schadeberg (www.jurgenschadeberg.com)

長年取り組んできた、強制失踪の問題に関する国際条約が採択される。

※4 良心の大使賞:アムネスティ・インターナショナルが授与する人権賞。人生や仕事を通じて、人権のための闘いで卓越したリーダーシップを発揮した人物に贈られる。

2010年 インドの鉱山開発プロジェクトで、先住民族が強制立ち退きを迫られていたが、政府が計画を差し止める。アムネスティは先住民族コミュニティとともに計画中止を求めていた。
2011年 シェル社にナイジェリアでの原油流出事故の責任を取るよう求める活動を開始。2015年、大きな打撃を受けた農民・漁民に対し、子会社が和解金支払いに同意。

シェル社に原油流出事故の責任を取るよう訴えるキャンペーン

シェル社に原油流出事故の責任を取るよう訴えるキャンペーン。

2013年 他団体と協力して長年取り組んできた「コントロール・アームズ」の活動が実り、武器貿易条約が成立。発効は2014年。

武器貿易条約が成立

日本支部でも「武器貿易条約(ATT)キャンペーンに取り組み、署名活動などを行った。 ©AI Japan

2015年 アムネスティを含む国際NGO連合の働きかけで、囚人の処遇に関する国際基準が成立以来60年ぶりに大幅に改正。
チャドのイッセン・ハブレ元大統領に人道に対する罪、戦争犯罪、拷問の罪で終身刑が言い渡される。証拠にはアムネスティの報告書、アムネスティの元職員の証言が使われた。
2017年 世界最大の難民キャンプ、ケニアのダダーブキャンプの閉鎖が阻止される。アムネスティは差し止めを求める現地NGOを支援した。
2018年 同意のない性行為を強かんと規定するよう求めるキャンペーンを開始。2019年にギリシャで、2020年にはデンマークで刑法が改正された。

デンマークでデモを行う活動家とサバイバーの人たち

デンマークでデモを行う活動家や被害者の人たち。 ©Amnesty International Denmark

2019年 妊娠した少女たちの登校が禁止されていたシエラレオネで、禁止措置が解除される。アムネスティは、教育の機会そして少女たちの未来を奪う差別的な措置だと、撤回を求めていた。
2020年 バングラデシュに逃れて暮らすロヒンギャ難民の子供たちがようやく教育を受けられるように。アムネスティなどの人権団体は教育の平等を訴えていた。

ロヒンギャ難民キャンプにある学習センター「フレンドシップ」で学ぶ子どもたち

ロヒンギャ難民キャンプにある学習センター「フレンドシップ」で学ぶ子どもたち ©Arif Zaman

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