最新情報:
2017年10月23日 (stop情報)
更新履歴:
2017年6月23日 (更新情報)
2016年12月16日 (更新情報)
2016年12月 8日 (更新情報)
2016年12月 8日 (更新情報)
2016年4月 8日 (更新情報)
2016年3月 6日 (更新情報)
2016年1月19日
国名:
イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
対象者:
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
期限:
2017年11月23日
配信日:
2017年10月23日
UA No:
012/2016

パレスチナ人のサーカス・パフォーマーで教師でもあるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(26才)が8月30日、イスラエルのケツィオット刑務所から釈放された。起訴も裁判もないまま、2年近く行政拘禁下に置かれていた。625日間の拘禁だった。釈放後は、被占領ヨルダン川西岸地区、ジェニンの自宅に戻り、家族との生活を取り戻している。

サハさんは2015年12月14日、被占領西岸地区でパレスチナ・サーカス学校への通勤中、イスラエル軍兵士に拘束された。10日後、6カ月間の行政拘禁命令を受けた。6カ月ごとに2回更新され、6月12日に3回目の更新命令を受けたが、弁護を担当するマムード・ハッサン弁護士が所属するパレスチナ囚人の権利のためのNGO、アッダミールが控訴し、控訴裁判所が7月12日、期間を3カ月に短縮して、8月30日(イスラム教徒の犠牲祭の前日)の釈放を決定した。

イスラエル軍の検察は、サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルが禁止する団体)の非合法活動を行なったと主張をした。しかし、その証拠は示さなかった。一方、サハさんは、検察の主張を強く否定していた。収監されていた刑務所は、イスラエル国内にある。これは、被占領地の被拘禁者は、同領域内で拘禁されなければならないとするジュネーブ第4条約に違反する。

サハさんは9月6日、「私のために行動してくれたすべての人たちへの感謝」として口頭でアムネスティに次のメッセージを寄せた。「親愛なる皆さん。皆さんが、ずっと寄り添ってくれてきたことで、常に皆さんと一緒にいる気がした。皆さん一人ひとりに感謝したい。どう書いていいのかわからず、フェイスブックを見て日々を過ごした。どんな言葉も、自分の気持ちを十分には表現できません」と。また「パレスチナ・サーカス学校の教師としての仕事に戻るのを楽しみにしています」と付け加えた。サーカス学校では、学習上の困難を抱える子どもたちを専門に教えている。教室に戻ることで、普通の日常に戻られればとも語っていた。

また、自身のフェイスブックには、支援者へのメッセージとして、次のように書き込んだ。「私に連帯してくれた皆さんに感謝します。イスラエル占領下の監獄で拘禁されている間、言葉や写真などとともに強い思いで、共に闘ってくれた人たち。行政拘禁の停止に向けた活動に感謝します」。

サハさんの釈放を求める要請文を送ってくださった皆さん、ありがとうございました。
この件に関するUA行動は、これで終了します。