- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年1月19日
- UA No:
- 012/2016
パレスチナ人のムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(23才)が12月半ば以来、起訴や説明もないままイスラエル軍によって拘禁されている。家族との面会も許可されていない。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは12月15日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。被占領西岸地区の都市、ジェニンにある両親の家からラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことだった。西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。赤十字国際委員会(ICRC)は彼の両親に、「彼は今、イスラエル北部のメギッド刑務所にいる。面会はできない」と伝えた。イスラエル軍は12月下旬、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。それは起訴なしに無期限拘禁できる命令だ。被拘禁者は、弁護する権利も、拘禁の合法性に実効性を持って異議申し立てする権利も奪われている。というのも、当局は通常、拘禁する根拠を彼らや弁護士にも開示しないからである。西岸地区北部のサレム軍事法廷で1月5日、その命令が軍判事によって審理されたといわれている。軍判事はその命令の取り消し、減軽、支持もできる。判決はまだ出ていない。アルジャジーラのニュースサイトはその日、次のようなイスラエル軍報道官の言葉を引用していた。「ムハンマド・ファイサル・アブ・サハは地域の安全にとって危険をもたらすために拘禁されており、その審理の詳細は秘密であると」。
2015年10月以来、イスラエル当局は行政拘禁の執行を劇的に増やしている。2015年末までに、580名超のパレスチナ人が行政拘禁された。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者となり、子どもたちにサーカス演技の指導もしている。学校の300名超の学生の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを彼は専門としている。
追加情報
欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、「ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分には根拠がなく、彼の唯一の罪は"子どもたちを幸せにすること"であり、その人生はサーカスに捧げられている」という声明を出した。2006年に設立された学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうしてパレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくことだとしている。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは17歳の時、イスラエルの治安部隊に逮捕され、1カ月間拘禁されたことがある。彼自身は否定していることではあるが、12歳から14歳にかけて、イスラエル軍のジープに投石したかどで告発されたのだ。拘禁中に軍判事が自分に「サーカスに戻ることは決してない」と言った、と彼はパレスチナ・サーカス学校の仲間に語っている。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは現在、イスラエル国内に拘禁されている。このことは、戦時の文民保護に関する第4ジュネーブ条約に違反する。この条約は被占領地の住民である被拘禁者は、その領域内において拘禁されなければならないと規定している。被占領西岸地区に居住するパレスチナ人親族にとって、イスラエルに拘禁されている家族と面会する許可を得るのはとても困難だ。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪がない人びとを拘禁するために長年、利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。
行政拘禁されている多くの人びとが、起訴なしに拘禁されていることに抗議してハンストを行なっている。そのような被拘禁者であるジャーナリストのムハンマド・アル=キクさんは11月下旬からハンストを行なっている。新しい法令によってイスラエル軍は最近、彼に対して強制摂食で脅すことができるようになった。行政拘禁されている別の人物、ムハンマド・アランさんは約8週間ハンストを行ない、2015年8月10日、イスラエルのソロカ医療センターの集中治療室に移送されたが、医療スタッフは彼に強制摂食することを拒否した。健康の悪化を理由にイスラエル高裁が彼の拘禁の停止を判決してから8月20日に彼はハンストを中止した。それから彼はバージライ医療センターに移送された。彼がセンターから退院した9月16日にイスラエル警察は彼を再逮捕した。彼は11月にようやく釈放された。
イスラエルと被占領パレスチナ地域における暴力が2015年10月1日以来、エスカレートしている。パレスチナ住民に対する懲罰的措置と見られる行動がよりまん延している。そのような措置の中には、大量逮捕、行政拘禁を含む恣意的拘禁、イスラエル人襲撃実行の罪に問われたパレスチナ人の家族の家屋の破壊、パレスチナ人の移動の自由の追加的かつ恣意的な制限措置がある。東エルサレムを含む被占領西岸地区およびガザ地区中で、イスラエル軍はパレスチナ人に対しますます過剰な(時には致死的な)武力行使をするようになっている。イスラエルは、特にヘブロンと東エルサレムで顕著な入植者による一連の襲撃からパレスチナ人を保護することを怠っている。刃物や銃でイスラエルの軍と民間人を狙った襲撃を実行するパレスチナ人が増加している。
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ (男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年3月 6日
- UA No:
- 012/2016
イスラエルの軍事法廷は3月21日、パレスチナ人のサーカス・パフォーマー、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんを起訴なしに拘禁していることへの異議申し立てについて、審理を行なうことになった。母親は2カ月余ぶりに本人に面会することを許された。
3月21日、イスラエルの軍事法廷はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんに対する6カ月間の行政拘禁命令への異議申し立て請求を審理することになっている。行政拘禁によってイスラエルは人びとを起訴したり裁いたりすることなく勾留できる。また被拘禁者は、自らを弁護する権利や、拘禁の合法性に実効性を持って異議申し立てする権利も奪われている。というのも、当局は通常、「証拠」を被疑者や弁護士に開示しないからである。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんの母親は2カ月余り息子に会うことができなかったのだが、イスラエル軍当局がやっと彼女に通行許可を出し、2月29日、イスラエルのメギッド刑務所で彼に面会した。彼は現在、イスラエル国内に拘禁されているが、このことは、戦時の文民保護に関する第4ジュネーブ条約に違反する。この条約は被占領地の住民である被拘禁者は、その領域内において拘禁されなければならないと規定しているのだ。被占領西岸地区に居住するパレスチナ人親族にとって、イスラエルに拘禁されている家族と面会する許可を得るのはとても困難だ。面会後、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんの母親はフェイスブック(http://tinyurl.com/gvm6o46) にメッセージを投稿した。そこでパレスチナの彼女は拘禁されている我が子に面会する親が受ける屈辱的な扱いについて述べている。時々、20才そこそこの兵士から怒鳴られたり侮辱されたという。「瞬く間に過ぎる40分の面会のために」それに耐えると述べている。息子は母親に、勾留中ずっと自分のために活動してくれたすべての人に感謝の気持ちを伝えるよう頼んだ。そして、イスラエルの刑務所にいる未成年者(中には12、3才の子もいる)や障がい者こそ「連帯のキャンペーンに値する」と述べた。拘禁中も、「1日が早く過ぎるように」と、収監されている仲間をサーカス演技で楽しませつづけている。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは2015年12月14日、イスラエルによって占領されている西岸地区のザータラ検問所で逮捕された。彼は武装部門を持つ政党、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバーだとして告発されている。ビルゼイトのパレスチナ・サーカス学校の人びとは、彼がいないため大変さびしい思いでいる。そこで彼はサーカスの演技をしたり、学習困難児との作業を専門とする教師もしていた。
追加情報
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(23歳)は2015年12月14日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。被占領西岸地区の都市、ジェニンにある両親の家からラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことであった。彼はイスラエル軍兵士によって西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。後で両親は赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は12月25日頃、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。西岸地区北部のオフェール軍事法廷で1月5日、その命令が軍判事によって審理、支持された。軍判事には行政拘禁命令の取り消し、減軽、支持の権限がある。アルジャジーラのニュースサイトはその日、次のようなイスラエル軍報道官の言葉を引用していた。「ムハンマド・ファイサル・アブ・サハは、地域の安全にとって危険をもたらすために拘禁されており、彼のケースの詳細は秘密だ」と。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者となり、子どもたちにサーカス演技の指導もしている。学校の300名超の生徒の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを彼は専門としている。欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分には根拠がなく、彼の唯一の「罪」は子どもたちを幸せにすることであり、その人生はサーカスに捧げられていると言い続けている。2006年に設立された学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうして「パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくこと」だとしている。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪がない人びとを拘禁するために長年、利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。2015年10月以来、イスラエル当局は行政拘禁の執行を劇的に増やしている。2015年末までに、580名超のパレスチナ人が行政拘禁された。
パレスチナ人たちが行政拘禁されているイスラエルの刑務所の内、1カ所を除いてイスラエル国内にある。イスラエル国内にパレスチナ人を拘禁することは国際法違反である。第4ジュネーブ条約の第49条、76条は、占領地出身の被拘禁者は当該地内に拘禁されねばならず、占領権力の領内に拘禁されてはならないと定めている。すべてのパレスチナ人の被拘禁者が被占領パレスチナ地域内に収容されるのであれば、家族は面会のためイスラエルに入国する必要はなく、許可の問題も生じない。パレスチナ人の被拘禁者の親族数千人に許可を出すことをイスラエル当局が拒否しているのは、定期的な面会や訪問を禁じることで、被拘禁者とその親族双方を困らせている懲罰的政策となっている。イスラエル人の囚人の親族にはそのような禁止措置はない。
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年4月 8日
- UA No:
- 012/2016
イスラエルの軍事法廷は3月31日、パレスチナ人のサーカス・パフォーマー、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんを裁判なしに拘禁していることへの本人の異議申し立てを棄却した。軍の検察は証拠とするものの多くを非開示とすることで、拘禁に異議申し立てする彼の権利をまたもや否定した。
6カ月間の行政拘禁命令に対するパレスチナ人のサーカス・パフォーマー、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんの異議申し立ては3月31日、軍判事によって棄却された。行政拘禁によってイスラエルは人びとを起訴したり裁いたりすることなく勾留できる。また被拘禁者は、自らを弁護する権利や、拘禁の合法性に実効性を持って異議申し立てする権利も奪われている。というのも、当局は通常、証拠とするものを被拘禁者や弁護士に開示しないからである。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんに対する行政拘禁命令は2016年6月13日に失効するが、命令は無限に更新できるものだ。
審理の間、軍の検察はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルによって禁止されている)の非合法活動を行なったとして、彼が治安上の脅威であるとの主張を繰り返した。しかし、その活動についての情報内容を示すことはなかった。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんと弁護団は、弁護のために必要な情報を入手できないままでは、拘禁への異議申し立てをしようとするのが不可能な立場に置かれている。
3月中旬、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはイスラエル北部のメギッド刑務所から、イスラエル南部のネゲヴ(ヘブライ語で。アラビア語ではネイカブ)のケツィオット刑務所に移送された。イスラエルが被占領西岸地区のパレスチナ人をイスラエル国内に拘禁していることは、戦時の文民保護に関する第4ジュネーブ条約に違反する。この条約は被占領地の住民である被拘禁者は、その領域内において拘禁されなければならないと規定しているのだ。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは家族に対して、自分のために活動してくれているすべての人びとに感謝の念を伝えるよう頼んでいた。しかし、彼が特に懸念しているのはイスラエルによって拘禁されているパレスチナの子どもたち、とりわけ精神的、肉体的障がいのある子どもたちだと繰り返した。ビルゼイトのパレスチナ・サーカス学校のサーカス・パフォーマー兼教師として、彼は学習困難児との作業を専門としている。
追加情報
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(23歳)は2015年12月14日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。ラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことであった。彼はイスラエル軍兵士によって西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。後で両親は赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は12月25日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。西岸地区北部のオフェール軍事法廷で1月5日、その命令が軍判事によって審理、支持された。3月21日、軍判事は6カ月間の行政拘禁命令に対する異議申し立てを聴聞したが、3月31日に棄却した。アルジャジーラのニュースサイトはその日、次のようなイスラエル軍報道官の言葉を引用していた。「ムハンマド・ファイサル・アブ・サハは、地域の安全にとって危険をもたらすために拘禁されており、彼のケースの詳細は秘密」だと。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者の一人となった。彼はまた子どもたちにサーカス演技を訓練させたり、学校の300名超の生徒の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを専門としている。欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分にはまったく根拠がなく、彼の唯一の罪は「子どもたちを幸せにすること」であり、その人生はサーカスに捧げられていると言い続けている。学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうして「パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくこと」だとしている。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪のない人びとを拘禁するために利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。2015年10月以来、イスラエル当局は行政拘禁の執行を劇的に増やしている。2015年末までに、580名超のパレスチナ人が行政拘禁された。この増加は子どもたちに対する行政拘禁の再開と一致していた。2015年10月、エルサレムのIDを持つ17歳の3名が、ほぼ4年ぶりに行政拘禁された未成年者となった。2015年10月から2016年3月にかけて全部で9名の未成年者が行政拘禁されている。1名は後に拘禁命令が失効する際に起訴され、5名は命令が失効した際に釈放された。2016年4月時点で4名は行政拘禁されたままである。ディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル・パレスチナ(DCIP)によると、2015年12月時点で、12歳から17歳のパレスチナ人の子どもたち422名がイスラエル軍によって勾留されているという。DCIPの推計では、500から700名が勾留され、イスラエルの軍事法廷によって訴追された。もっとも一般的な罪は投石である。
パレスチナ人たちが行政拘禁されているイスラエルの刑務所の内、1カ所を除いてイスラエル国内にある。イスラエル国内にパレスチナ人を拘禁することは国際法違反である。第4ジュネーブ条約の第49条、76条は、占領地出身の被拘禁者は当該地内に拘禁されねばならず、占領権力の領内に拘禁されてはならないと定めている。このため被拘禁者たちの家族はイスラエルへの入国許可が必要で、近親者に面会するのが非常に困難である。イスラエル当局はそのような許可申請を日常的に却下しており、それは被拘禁者とその家族双方に対する懲罰となっている。すべてのパレスチナ人の被拘禁者が被占領パレスチナ地域内に収容されるのであれば、家族は面会のためイスラエルに入国する必要はなく、許可の問題も生じない。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんの家族は彼が逮捕されてから3回、面会している。
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年12月 8日
- UA No:
- 012/2016
イスラエルの高等裁判所は、パレスチナ人のサーカス・パフォーマー、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)の再審理を認めた。しかし、12月5日の審理で、判事が拘禁は正当だとする秘密ファイルに十分な根拠があると説明したため、弁護士は請願を取り下げることにした。現在の行政拘禁は、12月12日に期間満了となる。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは被占領西岸地区のジェニン出身で、起訴も裁判もないまま1年近く拘禁されてきた。2015年12月14日、ザータラ検問所で軍に逮捕された。12月25日に6カ月間の行政拘禁命令を受け、今年6月13日にもう6カ月間の行政拘禁命令が追加された。
軍事法廷への以前の訴えが不首尾に終わった後、弁護団は高等裁判所に再審理を求めて請願することに決めた。裁判所は請願を認め、審理が12月5日、エルサレムの高等裁判所として場所は最高裁判所で行なわれた。しかし、判事にイスラエル公安部(ISA)提供の機密「証拠」ファイルを吟味する機会が与えられ、弁護士は請願を取り下げることにした。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんと弁護士は、この証拠を吟味することができず、そのため弁護の準備ができない。このような状況は公平な裁判ではない。2015年12月以降、そのファイルに新たな材料が加えられなかったにもかかわらず、判事は、被告が国家の安全の脅威だとする公安ん部の主張を正当化する情報がファイル資料にあったする見解を弁護士に伝えていた。裁判所が公安部の判断に異を唱えないことがはっきりしたため、弁護士は審理を継続しないことにした。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはイスラエル南部のネゲヴ地域にあるケツィオット刑務所に収監されており、現在続いている行政拘禁は12月12日に期間満了となる。軍事法廷は拘禁を延長するか、彼を釈放するか、どちらかの判断をすることになる。イスラエル当局が既に他の多くの場合においてもしてきたことだが、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんを訴追することなく、彼を罰する手段として行政拘禁を利用していることを、アムネスティ・インターナショナルは懸念している。それは恣意的な拘禁に相当するのである。
追加情報
パレスチナ人のサーカス・パフォーマーであるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)は2015年12月14日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。被占領西岸地区のラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことであった。彼はイスラエル軍兵士によって西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。後で両親は赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は12月25日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。ラマッラー近郊の西岸地区のオフェール軍事法廷で2016年1月5日、その命令が軍判事によって審理、支持された。3月21日、軍判事は6カ月間の行政拘禁命令に対する異議申し立てを聴聞したが、3月31日に棄却した。審理の間、軍の検察はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルによって禁止されている)の非合法活動を行なったとして、彼が治安上の脅威であるとの主張を繰り返した。しかし、その活動についての情報内容を示すことはなかった。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはその罪状を否認したが、彼と弁護団は、弁護のために必要な情報を入手できないままで、拘禁への異議申し立てをしようとするのが不可能な立場に置かれている。3月中旬、彼はイスラエル南部のネゲヴ地域にあるケツィオット刑務所に移された。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者の一人となった。彼はまた子どもたちにサーカス演技を訓練させたり、学校の300名超の生徒の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを専門としている。欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分にはまったく根拠がなく、彼の唯一の罪は「子どもたちを幸せにすること」であり、その人生はサーカスに捧げられていると言い続けている。学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうして「パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくこと」だとしている。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪のない人びとを拘禁するために利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。イスラエル当局は2015年10月以降、行政拘禁の利用を激増させた。2016年4月末までに692名(13名の未成年者を含む)のパレスチナ人が行政拘禁された。当該月は信頼性のあるイスラエル監獄局の統計が利用できる直近である。
高等裁判所を含むイスラエルの裁判所は長年に渡って、本人もその弁護士も分からない秘密の「証拠」を理由に起訴や裁判もないまま行政拘禁されている数千人のパレスチナ人たちに対して、効果的な法的手段を提供してこなかった。行政拘禁が被拘禁者の公平な裁判を受ける権利を侵害し、恣意的な拘禁となる事実があるにもかかわらず、アムネスティ・インターナショナルが知る限りでは、高等裁判所が行政拘禁命令を無効としたのは一例(1990年)あるだけである。また、被拘禁者が拘禁理由や釈放時期を知ることができないゆえに、イスラエルの行政拘禁は残酷かつ非人道的で品位をおとしめる処遇に相当する可能性があると、アムネスティ・インターナショナルは考えている。
UA更新情報 Index: ASA 41/5190/2016 Index: MDE 12/5001/2016 2016年12月7日
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年12月 8日
- UA No:
- 012/2016
イスラエルの高等裁判所は、パレスチナ人のサーカス・パフォーマー、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)の再審理を認めた。しかし、12月5日の審理で、判事が拘禁は正当だとする秘密ファイルに十分な根拠があると説明したため、弁護士は請願を取り下げることにした。現在の行政拘禁は、12月12日に期間満了となる。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは被占領西岸地区のジェニン出身で、起訴も裁判もないまま1年近く拘禁されてきた。2015年12月14日、ザータラ検問所で軍に逮捕された。12月25日に6カ月間の行政拘禁命令を受け、今年6月13日にもう6カ月間の行政拘禁命令が追加された。
軍事法廷への以前の訴えが不首尾に終わった後、弁護団は高等裁判所に再審理を求めて請願することに決めた。裁判所は請願を認め、審理が12月5日、エルサレムの高等裁判所として場所は最高裁判所で行なわれた。しかし、判事にイスラエル公安部(ISA)提供の機密「証拠」ファイルを吟味する機会が与えられ、弁護士は請願を取り下げることにした。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんと弁護士は、この証拠を吟味することができず、そのため弁護の準備ができない。このような状況は公平な裁判ではない。2015年12月以降、そのファイルに新たな材料が加えられなかったにもかかわらず、判事は、被告が国家の安全の脅威だとする公安ん部の主張を正当化する情報がファイル資料にあったする見解を弁護士に伝えていた。裁判所が公安部の判断に異を唱えないことがはっきりしたため、弁護士は審理を継続しないことにした。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはイスラエル南部のネゲヴ地域にあるケツィオット刑務所に収監されており、現在続いている行政拘禁は12月12日に期間満了となる。軍事法廷は拘禁を延長するか、彼を釈放するか、どちらかの判断をすることになる。イスラエル当局が既に他の多くの場合においてもしてきたことだが、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんを訴追することなく、彼を罰する手段として行政拘禁を利用していることを、アムネスティ・インターナショナルは懸念している。それは恣意的な拘禁に相当するのである。
追加情報
パレスチナ人のサーカス・パフォーマーであるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)は2015年12月14日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。被占領西岸地区のラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことであった。彼はイスラエル軍兵士によって西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。後で両親は赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は12月25日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。ラマッラー近郊の西岸地区のオフェール軍事法廷で2016年1月5日、その命令が軍判事によって審理、支持された。3月21日、軍判事は6カ月間の行政拘禁命令に対する異議申し立てを聴聞したが、3月31日に棄却した。審理の間、軍の検察はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルによって禁止されている)の非合法活動を行なったとして、彼が治安上の脅威であるとの主張を繰り返した。しかし、その活動についての情報内容を示すことはなかった。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはその罪状を否認したが、彼と弁護団は、弁護のために必要な情報を入手できないままで、拘禁への異議申し立てをしようとするのが不可能な立場に置かれている。3月中旬、彼はイスラエル南部のネゲヴ地域にあるケツィオット刑務所に移された。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者の一人となった。彼はまた子どもたちにサーカス演技を訓練させたり、学校の300名超の生徒の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを専門としている。欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分にはまったく根拠がなく、彼の唯一の罪は「子どもたちを幸せにすること」であり、その人生はサーカスに捧げられていると言い続けている。学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうして「パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくこと」だとしている。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪のない人びとを拘禁するために利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。イスラエル当局は2015年10月以降、行政拘禁の利用を激増させた。2016年4月末までに692名(13名の未成年者を含む)のパレスチナ人が行政拘禁された。当該月は信頼性のあるイスラエル監獄局の統計が利用できる直近である。
高等裁判所を含むイスラエルの裁判所は長年に渡って、本人もその弁護士も分からない秘密の「証拠」を理由に起訴や裁判もないまま行政拘禁されている数千人のパレスチナ人たちに対して、効果的な法的手段を提供してこなかった。行政拘禁が被拘禁者の公平な裁判を受ける権利を侵害し、恣意的な拘禁となる事実があるにもかかわらず、アムネスティ・インターナショナルが知る限りでは、高等裁判所が行政拘禁命令を無効としたのは一例(1990年)あるだけである。また、被拘禁者が拘禁理由や釈放時期を知ることができないゆえに、イスラエルの行政拘禁は残酷かつ非人道的で品位をおとしめる処遇に相当する可能性があると、アムネスティ・インターナショナルは考えている。
UA更新情報 Index: ASA 41/5190/2016 Index: MDE 12/5001/2016 2016年12月7日
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2016年12月16日
- UA No:
- 012/2016
12月11日、イスラエル軍はパレスチナ人のサーカス・パフォーマーであるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんの行政拘禁をさらに6カ月間、更新した。彼は起訴や裁判もないままイスラエル当局によって1年間、拘禁されてきた。
パレスチナ人のサーカス・パフォーマーであるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)は被占領西岸地区のジェニン出身で、イスラエル当局によって起訴も裁判もないまま1年間、拘禁されてきた。2015年12月14日、ナブルス近郊のザータラ検問所で逮捕された。今回の6カ月間の行政拘禁命令は、3回目だった。一回の拘禁期間は最長6カ月だが、更新回数には制限がない。被占領西岸地区のオフェール軍事法廷の軍判事がその命令を検討する審理が12月13日に予定されていたが、延期され、次回の期日は決まっていない。だが、命令が取り消される可能性は極めて低い。
イスラエル高等裁判所での12月5日の審理において、判事は被告の弁護士に対し、「イスラエル公安部(ISA)から提出された機密証拠は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがイスラエル国家の安全に対する脅威だとするISAの主張を裏づけるものだ」と述べた。弁護士によると、2015年12月以降、何ら新しい資料が出てきたわけでもないのに、このようなことになったという。しかし、行政拘禁制度というのは、本人も弁護士も検察がいう証拠を確認できないため、その批判もできない。このような状況は、公正な裁判基準の根幹を侵す。
イスラエル当局が、既に他でもしてきたことだが、今回も訴追せず、罰する手段として行政拘禁を利用していることが懸念される。それは恣意的な拘禁に匹敵する。被拘禁者が拘禁理由や釈放時期を知ることができないゆえに、イスラエルの行政拘禁はそれ自体、残酷かつ非人道的で品位をおとしめる処遇に相当する可能性がある。
追加情報
パレスチナ人のサーカス・パフォーマーであるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(24歳)は2015年12月14日、イスラエル軍兵士によって拘禁された。被占領西岸地区のラマッラーの隣のビルゼイトにあるパレスチナ・サーカス学校への通勤途中のことであった。彼はイスラエル軍兵士によって西岸地区の都市、ナブルス近郊のザータラ検問所で拘束され、その近くのハワラ軍拘置所に連行された。後で両親は赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は2015年12月25日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。ラマッラー近郊の西岸地区のオフェール軍事法廷で2016年1月5日、その命令が軍判事によって審理、支持された。3月21日、軍判事は6カ月間の行政拘禁命令に対する異議申し立てを聴聞したが、3月31日に棄却した。審理の間、軍の検察はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルによって禁止されている)の非合法活動を行なったとして、彼が治安上の脅威であるとの主張を繰り返した。しかし、その活動についての情報内容を示すことはなかった。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはその罪状を否認したが、彼と弁護団は、弁護のために必要な情報を入手できないままで、拘禁への異議申し立てをしようとするのが不可能な立場に置かれている。3月中旬、彼はイスラエル南部のネゲヴ地域にあるケツィオット刑務所に移され、今もそこに拘禁されている。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校で学び始め、2011年に演技者の一人となった。彼はまた子どもたちにサーカス演技を訓練させたり、学校の300名超の生徒の内、30名いる学習障がいのある子どもたちを教えることを専門としている。欧州委員会ほか様ざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威であるという言い分にはまったく根拠がなく、彼の唯一の罪は「子どもたちを幸せにすること」であり、その人生はサーカスに捧げられていると言い続けている。学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術を指導し、そうして「パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう働きかけていくこと」だとしている。
行政拘禁は表向き、治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪のない人びとを拘禁するためにイスラエルによって利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、イスラエルによって行政拘禁されているパレスチナ人の中には、言論・結社の自由の権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると、アムネスティは考える。イスラエル当局は2015年10月以降、行政拘禁の利用を激増させた。2016年4月末までに692名(13名の未成年者を含む)のパレスチナ人が行政拘禁された。当該月は信頼性のあるイスラエル監獄局の統計が利用できる直近である。
高等裁判所を含むイスラエルの裁判所は長年に渡って、本人もその弁護士も分からない秘密の「証拠」を理由に起訴や裁判もないまま行政拘禁されている数千人のパレスチナ人たちに対して、効果的な法的手段を提供してこなかった。行政拘禁が被拘禁者の公平な裁判を受ける権利を侵害し、恣意的な拘禁となる事実があるにもかかわらず、アムネスティ・インターナショナルが知る限りでは、高等裁判所が行政拘禁命令を無効としたのは一例(1990年)あるだけである。また、被拘禁者が拘禁理由や釈放時期を知ることができないゆえに、イスラエルの行政拘禁は残酷かつ非人道的で品位をおとしめる処遇に相当する可能性があると、アムネスティ・インターナショナルは考えている。
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2017年6月23日
- UA No:
- 012/2016
6月12日、被占領ヨルダン川西岸地区のラマッラー近郊にあるオフェール軍事法廷は、ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(25才)に対する行政拘禁命令を3カ月間、更新した。パレスチナ人のサーカス・パフォーマーで教師であるサハさんは、2015年12月14日から起訴も裁判もないまま拘禁されてきた。
サハさんの弁護士で、パレスチナ人の囚人の権利擁護のNGOアッダミールで活動するマムード・ハッサンさんが、行政拘禁命令の更新に異議申し立てをしたことを受け、高等裁判所が5月10日、命令の更新は3カ月間の追加1回に限定すべきという裁定を下した。そして直近の行政拘禁命令が6月11日に失効した翌日、3カ月間の拘禁命令が出された。
サハさんは、その法廷には出廷していなかった。アムネスティは、自由と公正な裁判を受ける権利を侵害する行政拘禁に反対する。行政拘禁では、起訴や裁判も受けず、起訴内容も知らされず、弁護人に証拠内容の検討と弁護の準備をする機会もないまま無期限に拘禁されかねない。また、被拘禁者は、拘禁理由や釈放時期を知らされないため、行政拘禁は、残酷かつ非人道的で品位をおとしめる処遇に相当する可能性がある。
サハさんが収監されてきたケツィオット刑務所は、イスラエル国内にある。これは、被占領地の被拘禁者は、同領域内で拘禁されなければならないとするジュネーブ第4条約に大きく違反する。被占領西岸地区で暮らす家族が、サハさんに面会する場合は、イスラエル当局に許可を申請しなければならず、その手続きが煩わしかった。2016年10月から12月までは、治安上の理由で許可申請のほとんどが却下された。
追加情報
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは2015年12月14日、被占領西岸地区でイスラエル軍兵士によって拘禁された。ラマッラー近郊の町、ビルゼイトへの通勤途中、彼がナブルス近郊のザータラの軍検問所を通過した際のことだった。彼は近くのハワラ軍事拘置所に連行された。その後、両親は、赤十字国際委員会(ICRC)から、息子がイスラエル北部のメギッド刑務所に移送されたことを知らされた。イスラエル軍は2015年12月25日、彼に6カ月間の行政拘禁命令を下した。翌年1月5日、その命令は、ラマッラー近郊の西岸地区のオフェール軍判事により審理、支持された。2016年3月21日、軍判事は6カ月間の行政拘禁命令に対する異議申し立てを聴聞したが、同年3月31日に棄却した。審理の間、軍の検察はムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルによって禁止されている)と共に非合法活動を行なったとして、彼が治安上の脅威であるとの主張を繰り返した。しかし、非合法活動の具体的な内容には触れなかった。ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんはその罪状を否認したが、弁護団は、必要な情報を入手できないため、拘禁への異議申し立てができない。2016年3月中旬、彼はイスラエル南部のケツィオット刑務所に移送された。
ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんは、2007年にパレスチナ・サーカス学校(生徒数300名あまり)で学び始め、2011年に演技者の一人となった。彼はまた子どもたちにサーカス演技を教えたり、30名いる学習障がいの児に教えるのが仕事だ。欧州委員会ほか、さまざまな団体から資金援助を受けているパレスチナ・サーカス学校は、サハさんの拘禁について次のように説明している。「ムハンマド・ファイサル・アブ・サハさんが治安上の脅威だという主張にはまったく根拠がない。彼の唯一の罪は、『子どもたちを幸せにすること』であり、その人生はサーカスに捧げられている」と。学校の使命は、パレスチナの青少年にサーカス芸術の指導を通して、パレスチナ人の社会的、創造的、肉体的潜在能力を育み、彼らが社会における建設的参加者となるよう指導することにある。
サハさんは、行政拘禁に抗議して、4月17日から5月27日にかけての40日間のハンストに参加していた。イスラエルの違法な政策への抗議行動であるハンストには、およそ1,500名のパレスチナ人の囚人や被拘禁者が参加した。ハンストに参加した人びとの要求には、家族との面会を制限するイスラエルの措置の撤廃、行政拘禁と独房拘禁の撤廃もあった。囚人を代表する委員会がイスラムの聖月のラマダンの間、イスラエルの監獄局と要請について交渉するため、ハンストは5月27日に中止となった。ラマダンは6月24日に終わることになっている。サハさんの母親ラジャーさんもまた、息子と他のパレスチナ人のハンスト参加者に連帯してハンストに加わった。
東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザのイスラエルによる軍事占領が1967年に始まって以来、イスラエル当局は良心の囚人を含む数万人のパレスチナ人を恣意的に拘禁し、起訴や裁判もないまま無期限に行政拘禁してきた。行政拘禁は、表向きは治安に著しくかつ差し迫った危険をもたらす人びとを拘禁するための例外的措置として導入されたものだが、犯罪容疑者を逮捕、起訴、訴追したりする刑事司法制度の代替手段として、あるいはまったく罪のない人びとの拘禁に利用されてきた。この命令は無制限に更新可能で、行政拘禁されているパレスチナ人の中には、権利を平和的に行使しただけで拘禁された良心の囚人がいると考える。
高等裁判所を含むイスラエルの裁判所は、長年、本人も弁護士も知らない証拠を理由に行政拘禁されている数千人のパレスチナ人に対して、実効性ある法的手段を提供してこなかった。行政拘禁が被拘禁者の公平な裁判を受ける権利を侵害し、恣意的な拘禁となる事実があるにもかかわらず、アムネスティが知る限りでは、高等裁判所が行政拘禁命令を無効としたのは一例(1990年)あるだけだ。イスラエルの人権組織ハモウクドによると、今年6月1日時点で行政拘禁されている人は、477人いた。
- 最新情報:
- 2017年10月23日 (stop情報)
- 更新履歴:
- 2017年6月23日 (更新情報)
- 2016年12月16日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年12月 8日 (更新情報)
- 2016年4月 8日 (更新情報)
- 2016年3月 6日 (更新情報)
- 2016年1月19日
- 国名:
- イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- 対象者:
- ムハンマド・ファイサル・アブ・サハ(男性)
- 期限:
- 2017年11月23日
- 配信日:
- 2017年10月23日
- UA No:
- 012/2016
パレスチナ人のサーカス・パフォーマーで教師でもあるムハンマド・ファイサル・アブ・サハさん(26才)が8月30日、イスラエルのケツィオット刑務所から釈放された。起訴も裁判もないまま、2年近く行政拘禁下に置かれていた。625日間の拘禁だった。釈放後は、被占領ヨルダン川西岸地区、ジェニンの自宅に戻り、家族との生活を取り戻している。
サハさんは2015年12月14日、被占領西岸地区でパレスチナ・サーカス学校への通勤中、イスラエル軍兵士に拘束された。10日後、6カ月間の行政拘禁命令を受けた。6カ月ごとに2回更新され、6月12日に3回目の更新命令を受けたが、弁護を担当するマムード・ハッサン弁護士が所属するパレスチナ囚人の権利のためのNGO、アッダミールが控訴し、控訴裁判所が7月12日、期間を3カ月に短縮して、8月30日(イスラム教徒の犠牲祭の前日)の釈放を決定した。
イスラエル軍の検察は、サハさんがパレスチナ解放人民戦線(PFLP。武装部門を有する左翼政党でイスラエルが禁止する団体)の非合法活動を行なったと主張をした。しかし、その証拠は示さなかった。一方、サハさんは、検察の主張を強く否定していた。収監されていた刑務所は、イスラエル国内にある。これは、被占領地の被拘禁者は、同領域内で拘禁されなければならないとするジュネーブ第4条約に違反する。
サハさんは9月6日、「私のために行動してくれたすべての人たちへの感謝」として口頭でアムネスティに次のメッセージを寄せた。「親愛なる皆さん。皆さんが、ずっと寄り添ってくれてきたことで、常に皆さんと一緒にいる気がした。皆さん一人ひとりに感謝したい。どう書いていいのかわからず、フェイスブックを見て日々を過ごした。どんな言葉も、自分の気持ちを十分には表現できません」と。また「パレスチナ・サーカス学校の教師としての仕事に戻るのを楽しみにしています」と付け加えた。サーカス学校では、学習上の困難を抱える子どもたちを専門に教えている。教室に戻ることで、普通の日常に戻られればとも語っていた。
また、自身のフェイスブックには、支援者へのメッセージとして、次のように書き込んだ。「私に連帯してくれた皆さんに感謝します。イスラエル占領下の監獄で拘禁されている間、言葉や写真などとともに強い思いで、共に闘ってくれた人たち。行政拘禁の停止に向けた活動に感謝します」。
サハさんの釈放を求める要請文を送ってくださった皆さん、ありがとうございました。
この件に関するUA行動は、これで終了します。