「テロとの闘い」における人権侵害 - 明らかになった収容の実態

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2005年11月、米ワシントン・ポスト紙は、東欧の8か所に秘密拘禁施設が存在していると報道しました。

その直後の11月7日、アムネスティは新たな報告書「CIA『ブラック・サイト』での秘密拘禁」を発表し、米国が設置した秘密収容ネットワークの中で、2003年に「失踪」したイエメン人・3人の拘禁状況の詳細を明らかにしました。

3人は移送されるたびに頭に布をかぶせられ、どの国に移送されたか知ることもできず、窓もなく、24時間人工照明のついた監房の中に閉じ込められ、尋問担当者以外と話をすることを一切禁じられたまま、1年以上を耐えなければなりませんでした。

欧州で大問題に

欧州評議会と欧州議会は、米国主導で行われた「国家間移送」について、欧州各国がどのように関与したか調査を開始しました。

その結果、複数の国がエジプト、ヨルダン、モロッコ、サウジアラビア、シリアなど拷問で知られている国へ被拘禁者を移送し、拷問を外注することで拷問の絶対的な禁止を無視していたことが明らかになったのです。

これまでに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、トルコ、ドイツ、イタリア、スウェーデン、英国などの国ぐにが関与していたことが判明しています。

2006年6月、欧州評議会は報告書を発表、レンディションが法の基本原則に反していると批判し、欧州各国が直ちにレンディションを停止するよう勧告を出しました。

レンディションの被害者─ムハンマド・アルアサド

“彼らは夜中にやって来てお父さんを連れて行った。まるで泥棒みたいに。”
(彼の12歳の娘の証言)

イエメン国籍のムハンマド・アルアサド(45歳)は、ある日突然家にやってきた入国管理官によって逮捕され、連行された。

アルアサドは、25年間、タンザニアでディーゼルエンジンの部品を輸入する小さな会社を経営していた。彼の逮捕は、1997年にチャリティ団体「アルハラマイン・イスラミック・ファウンデーション」に事務所を貸したことが発端だった。この団体は、テロリストの資金源である可能性があるという理由で、 2001年9月11日のテロ以降、米政府のブラックリストの対象になっていた。

家族の目の前で顔に布をかぶせられ、手錠をかけられて連行されたアルアサドは、その後、飛行機に乗せられた。行き先を訪ねても答えてもらえず、連れていかれた先は、古く、窓もなにもない部屋。そこで彼とチャリティ団体の関係について繰り返し尋問された。

尋問される時以外には人と話すことは許されず、1日24時間人工照明がついている中、時間も知ることができないという状況に何か月も耐えなくてはならなかった。家族は、アルアサドが事実上「失踪」したという状況の中、精神的苦痛と経済的な困難に耐え続けてきた。

アルアサドは、合計で4回の秘密裏の収容所移送を経験、拘束されてから16カ月の後にイエメンの刑務所に移送された。アムネスティはアルアサドに刑務所内で面会し、イエメン当局に働きかけた。国際的な働きかけによって、2006年3月、アルアサドはようやく釈放された。

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