- 2006年11月25日
- 国・地域:イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
- トピック:地域紛争
今朝の犠牲者は、ほとんどが自宅で就寝中にイスラエル軍の砲弾を受けて殺された。うち8人は子どもだった。攻撃後まもなく殺害の現場を訪れたアムネスティ派遣団の一人によると、犠牲者のうち15人が最初の攻撃で殺され、他の3人は、死傷者を助けようと駆け寄ったところを2度目の砲撃で殺された。
「11月2日にイスラエル軍がガザ地区で今回の軍事作戦を開始してからパレスチナ人の犠牲者が再び激増しているが、今朝の恐ろしい行為はこれに続くものである。」アムネスティの中東・北アフリカ部部長、マルコム・スマートはこう語る。「この作戦中、イスラエルは、パレスチナの民間人の命をあまりにも軽んじているとしか言いようがない。今朝の悲劇以前にすでに20人以上が殺されている。」
イスラエル軍がガザ地区北部のベイトハヌンを包囲してから今日の事件までに計53人以上のパレスチナ人が殺され、さらに多くが負傷している。殺された民間人の中には2人の救急隊員も含まれている。イスラエル陸軍が「秋の雲」と呼ぶ作戦は11月2日に始まり、部隊が町の外に再配備された11月7日まで続いた。イスラエル当局によると、この作戦はパレスチナの武装グループがガザ地区近くのイスラエルの町や村に向けて自作のカッサムロケットを発射するのを阻止するために開始されたといわれている。犠牲者のほとんどは、6日間に亘って包囲されていたベイトハヌンで殺されたが、周囲の地域でイスラエル軍の攻撃により命を落とした人びともいる。
アムネスティは非武装の民間人に対するあらゆる攻撃を非難する。また、イスラエル当局に対し、イスラエル軍の攻撃によってパレスチナの民間人が死亡あるいは負傷したすべての事件を独立した機関により調査し、人権侵害の責任者を裁くことを要請する。
イスラエル軍がベイトハヌン包囲を開始したとき、上級将校ヤロム中佐は、兵士らに対し民間人を犠牲にしないよう指示していると語っていた。作戦4日目、エフド・オルメルト・イスラエル首相はパレスチナ民間人の死亡者数、負傷者数の増加を目の当たりにしてこう言い放った。「負傷したパレスチナ人はほとんどが武装していた。しかし遺憾にも彼らは罪のない人びとを人間の盾に使っており、そのために無関係な民間人も負傷することとなった。」
しかし、現在ガザ地区にいるアムネスティ派遣団が集めた情報はこれとは矛盾している。少なくとも2人の女性と数人の子どもを含む死亡者のうち、半分以上は武器を持っておらず戦闘には関与していなかった。イスラエル軍による空爆と砲撃により負傷した人びとと同じ状況である。
以下は、イスラエル軍による攻撃で死亡または負傷した人びとの一部である。
11月6日朝、ラムジ・アル=アシュラフィ(16歳)が殺され、7人の子どもが負傷した。彼らの乗ったスクールバスがベイトラヒアとガザ市北のヤバルヤとを結ぶ交通量の多い道を走っていたときに、近くでイスラエル軍の砲弾が爆発したのである。教師のナユワ・クリーフ(20歳)もバスに乗っており、脳に重傷を負った。ガザ市中央病院の集中治療室で治療にあたった医師らによると、彼女は重篤状態にある。パレスチナ武装グループのものと考えられる車を狙った砲弾が誤ってバスに当たったと見られている。しかし攻撃は朝のラッシュアワーに交通量の多い交差点で行われており、道路が通勤・通学途中の大人、子どもで混雑していることは予測できたはずだ。ラムジ・アル=アシュラフィを殺し、スクールバスに乗っていた他の者に怪我を負わせた砲弾は幼稚園の近くに落ちた。他に死傷者が出なかったのは不幸中の幸いである。
11歳の少女アラ・マンスール・アル=クデイルは、11月4日、ベイトラヒアの学校で朝の授業を終えて友達と帰宅する途中、イスラエル軍の攻撃により負傷した。弾は左頭部から入り、首の左側に達していた。弾はまだ体内に残っており、アラの症状は重い。母親によると、アラが負傷したのはガザ北西部のサヤファ地区にある自宅の近くであり、このところイスラエル陸軍が頻繁に砲撃していた。一緒にいた少年も重傷を負った。
11月3日朝、ベイトハヌンの入口付近でデモをしていた女性らがイスラエル軍に攻撃され、イブティサム・マスード(44歳)が死亡し、タリール・シャヒン(37歳、7人の母親)を含む10人が負傷した。タリール・シャヒンは足を切断しなければならなかった。ガザ市の病院でタリールがアムネスティに語ったところによると、女性たちは武器を持たずにイスラエル軍の戦車から100メートルも離れていないところに立っていた。その戦車が発砲した。「私たちのデモは平和的なものであり、女性だけで男性は1人もいませんでした。戦闘員もいなかったし武器もありませんでした。単に女たちが戦車の前に立っていただけです。イスラエル兵が撃ってくるとは思いませんでしたが、彼らは無差別に撃ってきたのです。」
ヘバ・ラヤブ(20歳、「民主主義と紛争解決のためのパレスチナセンター」で働くボランティア)とスー・アド・アブ・ナエム(43歳、8人の母親)は同じ事件で銃弾を受け足と手に重傷を負った。彼女たちは、イスラエル軍兵士が戦車の上からデモ中の女性たちを狙っていたのを見たという。女性たちのデモは、パレスチナ議会のハマス党員がイスラエル軍によるモスク包囲を打破しようと呼びかけたことに応えて行われた。パレスチナ武装グループがこのモスクに逃げ込みイスラエル軍に包囲されていると伝えられていた。しかし女性たちはモスクに到達する前に撃たれている。
アハマド・アル=マデュン(42歳)とムスタファ・ハビブ(26歳)は共にパレスチナ赤新月社(PRCS)で働くボランティアの救急隊員であるが、11月3日夕方、手伝っていた男性と共にイスラエル軍による空爆で殺された。これより前の空爆で殺された男性の遺体を収容しようとしていたところだった。一緒にいた救急車運転手イヤド・ユーセフ・アブ・アル=フルはアムネスティにこう語った。「アハマドとムスタファは救急車から20メートルぐらいのところで担架に遺体を乗せようとしていました。私が救急車から降りて2人の方に歩きかけたとき、2人がいた場所にミサイルが落ちたのです。私は救急車に戻り助けを呼びました。同僚が任務遂行中に殺された光景が頭から離れません。」医療救急隊はベイトラヒア近郊の空き地にいた。暗かったが救急車の屋根の上の救急灯ははっきりと見えたはずである。3人目の犠牲者は、これより前に殺された男性の友人であり、2人の救急隊員に遺体の場所を教えていた。最初に殺されていた男性が殺された状況は不明である。
近年パレスチナの救急車はイスラエル軍に頻繁に攻撃されており、すでに数十台が被害を受けている。ベイトハヌン包囲の間、イスラエル軍が事実上ずっと外出禁止令を敷いていたため、救急隊員の任務が妨害されたり遅れたりすることが増えていた。ベイトハヌンの病院への出入りはイスラエル軍の戦車が統制しており、救急車の病院への出入りや、さらには町への出入りが遅らされていた。
11月4日夕方、ザヒール・ムスタファ・シャバット(32歳)はイスラエル軍兵士に撃たれて重傷を負い、従兄弟のマゼン・シャバットは死亡した。共にイスラエル陸軍に3日間拘禁された後、解放されて家に帰る途中だった。集中治療室から出たばかりのザヒールは病室のベッドでアムネスティにこう語った。「私たちは3日間拘禁された後、解放され書類を渡されました。もし帰る途中に他の兵士に止められたら、これを見せろと言われました。家は拘禁されていたところから1.5~2キロの距離です。この辺りの戦車に連絡して私たちが安全に帰れるようにしておいたということでした。でも家まであと150メートルぐらいのところで、親戚の家から兵士が飛び出してきて私と従兄弟のマゼン・シャバットを撃ったのです。マゼンは死に、私は腹と背中に重傷を負いました。」
取材をご希望の場合の連絡先:
アムネスティ調査員 ドナテラ・ロベラ(ガザ):
+970 599 446 703または+44 7771 796 091
アムネスティ中東・北アフリカ広報担当 ニコール・チューリー:
+44 7831 640 170
2006年11月9日
AI Index: MDE 15/087/2006
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