イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ:パレスチナ人「良心の囚人」を釈放し多数の拘禁を止めよ

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2013年5月 2日
[国際事務局発表ニュース]
国・地域:イスラエル/被占領パレスチナ地域/パレスチナ
トピック:

パレスチナ人アーマド・カタメシュさんがイスラエルで勾留されてから2013年4月21日で2年がたった。内外の法律上の罪で起訴されたわけでも、司法で裁かれたわけでもない。彼は、非暴力的な政治信条を平和的に表明しただけで拘禁された良心の囚人であり、即時無条件で釈放されるべきである。

カタメシュさんのように行政拘禁命令でイスラエルに拘禁されているパレスチナ人が現在、約160名いる。

この命令のもとでは、軍検察は内密の証拠にもとづき無期限に勾留することが可能だ。証拠は被拘禁者とその弁護士には開示されず、自分を自分で守るという基本的権利が否定されている。

行政拘禁を止め、国際的にも明確な罪状で迅速に起訴し公平な国際裁判基準に沿って裁くべきである。さもなければ、行政拘禁されているすべての人びとを釈放すべきである。アムネスティはこの点をイスラエル政府に改めて要請している。

カタメシュさんは学者で演説家、政治・文化問題で執筆もし、イスラエル・パレスチナ間の紛争に対して一国家による解決を求めている。その彼を勾留する明確な理由がない。その見解を封じ、他のパレスチナ人左翼活動家の政治活動を抑止するために、勾留されている。アムネスティはそう考えている。

現在の行政拘禁命令は4月28日に失効するが、際限なく更新される可能性がある。現命令に対する抗告は2月13日、軍事裁判所により棄却された。弁護士が高等裁判所に上訴したが、これも4月に棄却された。棄却された理由はいずれも明らかにされていない。

カタメシュさんは2011年4月21日午前2時、ラマッラーにある兄弟宅で治安部隊に逮捕された。隊員は当初自宅を訪れたがカタメシュさんが見つからず、隣家も捜索した。娘に銃口を突きつけ、「父親に電話しろ」と命じたという。そして、カタメシュさんが、兄弟宅への道順を教えた。治安部隊は結局いずれの家の中も捜査しなかった。

それ以来、彼がイスラエル総保安庁(ISA)から受けた尋問はわずか10分ほどである。

彼はパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバーで、治安を脅かしているとISAは主張している。1990年代には政治的、知的支援者であったが、この14年間、PFLPには関わっていないと彼は述べている。2011年6月、軍事裁判所での抗告の際、なぜ自分が投獄されているのか、説明を求めた。「なぜ逮捕されたのか分からない。治安を脅かしてはいない。私が貴方の敵だと思いますか。一国家が解決策だと私が思っても誰が気にするというのでしょう。この考え方を支持するイスラエル人100名を目の前に用意しろ、というのでしょうか」。彼はそう訴えた。

妻は、「家族には、禁錮3年のほうがまだまし」とアムネスティに話している。行政拘禁につきまとう問題は、被拘禁者と家族を常に不安にしてしまうことだ。1つの命令が終われば釈放されるという希望は、次の命令が出る度に打ち砕かれるのだ

起訴のない勾留に加えて、カタメシュさんはほかのパレスチナ人の被拘禁者や囚人たちと同じように、別の懲罰的措置を受けている。

例えば、定期的に面会できるのは、娘だけだ。被占領西岸地区の住民である親族は、面会許可を得るようとすると巨大な壁にぶちあたる。今年始め、被占領西岸地区にあるオフェール刑務所からイスラエル南部のラモン刑務所に移送された。娘は4月22日、父親に会うためにラモン刑務所を訪れた。往復に約13時間もかかった。面会時間はわずか45分である。

妻がアムネスティに語ったところでは、この移送は、拘禁中のパレスチナ人、アラファト・ジャラダートさん(30歳)が今年2月23日、メギッド刑務所で不審な獄死をした際、国内の刑務所などで抗議行動があった後に行われたという。

また、カタメシュさんをイスラエル内に移したことは、戦時の文民保護に関する第4ジュネーブ条約に違反する。この条約は被占領地の住民である被拘禁者は、その領域内において拘禁されなければならないと規定している。

現在、カタメシュさんは62歳で健康が悪化している。妻によると吐き気やめまいを引き起こす診断未確定の病気に苦しんでいる。

国連の被拘禁者処遇最低基準規則は、常識の範囲で自らが選んだ医師による診療を許されるべきであると述べており、国連の被拘禁者保護規則は、被拘禁者は「司法その他の当局に第三者の医学検査・意見を要請または申し立てる権利がある」と記述しているが、カタメシュさんからの中立的な医師の診療要請は監獄当局によって許可されていない。

背景情報

アーマド・カタメシュさんは1992年、イスラエル国防軍(IDF)によって逮捕された。裁判官が保釈を命じて1998年4月にようやく釈放されてから1年余り後、この行政拘禁が行われた。釈放された後、自らが受けた拷問その他の虐待を含む経験を『あなたのトルコ帽はかぶらない』という本で記している。

2012年以来、行政拘禁されている数百名のパレスチナ人と受刑者たちは、起訴なしの拘禁及び、独居拘禁や家族との面会禁止、中立の立場にある医師の診療禁止など当局による懲罰的措置に抗議して、長期のハンストを行なってきた。同時に、パレスチナ人たちは西岸地区において、パレスチナ人の被拘禁者、囚人の釈放と彼らの待遇改善を求めて定期的な抗議行動を行なってきた。

およそ2000名のパレスチナの囚人と被拘禁者たちがひどい監獄環境や独房拘禁、家族との面会禁止、行政拘禁に抗議したハンストは、エジプトが仲介したイスラエル当局との協定の後、2012年5月14日に終結した。行政拘禁されていたパレスチナ人の中にはようやく釈放された人びともいるが、今も拘禁されている人びともいる。

サメール・アル=バルクさん(38歳)は2013年2月に4回目のハンストを始めたが、依然として行政拘禁されたままである。エジプトで釈放し、そこから妻と一緒になるためパキスタンへ行けるよう当局が保証していたにもかかわらず、だ。あるハンストの間は周期的に病院のベッドに括りつけられていた。看守によって殴られたり罵られたりしたと彼は弁護士に語っている。中立の立場にある医師の診療や容態に合った専門医療をずっと受けられないでいる。

囚人のサメール・イサウィさんは2012年7月7日からイスラエル当局に勾留されている。どういう訳か具体的には分からないが、2011年10月の囚人交換の一環として釈放された際の条件を破ったとのことである。彼は武器所持とエルサレムで武装グループを結成したかどで、30年の禁錮刑に服役していた。拘禁理由を当人にも弁護士にもイスラエル軍事委員会が説明しないことに抗議して、彼は2012年8月1日にハンストを始めた。ハンストを長く続けている人に合った適切な医療の要請は、繰り返し拒絶された。報道によると、2013年12月23日に釈放されるという協定書に当局が2013年4月23日に署名したことをうけて、ハンストを停止したとのことである。

*イスラエルのNGO、ブェツレムによつと2013年3月末時点で行政拘禁されている人びとは164名いた。

*アラファト・ジャラダートの家族と弁護士によってアムネスティ・インターナショナルに伝えられた声明文、そして彼が死ぬ前に軍事裁判所で目撃した弁護士たち、解剖に立ち会ったパレスチナ人の法医学の専門家の報告書それらすべては、彼の死がイスラエルの監獄内における拷問その他の虐待に由来するものかもしれないという重大な懸念を提起している。

アムネスティ国際ニュース
2013年4月23日