先住民族/少数民族 - タイ・ラオス国境のモン族難民

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モン族は、東南アジアや中国の山岳地方で生活する少数民族の一つです。ラオスのモン族は、ロー氏やハー氏など5つの氏族を中心に生活を営んでいました。しかし19世紀に入るとフランスによる植民地統治政策の一環で、ロー氏系を差別、圧迫します。これがきっかけとなり民族が分断してしまいました。

第二次世界大戦後、ラオスはフランスからの独立運動が盛んになりますが、その中心がパテト・ラオ(ラオス愛国戦線)でした。パテト・ラオはさまざまな民族で構成されていましたが、モン族ではロー氏系が中心となっていました。それに対抗するためフランス軍はハー氏系のモン族を徴兵し、前線に派遣します。その結果、モン族同士が敵味方に分かれて戦うことになりました。

この独立戦争はパテト・ラオが勝利したことで一時収束します(第一次インドシナ戦争)。その後インドシナ休戦協定が締結されますが、それを無視する形でフランスを支援していた米国が進出し、パテト・ラオは米国と戦うことを余儀なくされます。ロー氏系のモン族も同様です。そして、先の戦争でフランス側についたハー氏系のモン族も同様で、今度は米国側につきました。

この戦争もパテト・ラオの勝利で終結します。その結果、米国側についたハー氏系のモン族(約30万人)はラオス国内での迫害を恐れ、国外へ逃れました。彼らはその後、近隣諸国を経由して米国などへ難民として亡命するか、もしくは国境付近の難民キャンプに収容されました。タイ・ラオス国境にある難民キャンプもこの一つです。

これらへの援助は、ラオスをはじめとする共産主義国家への牽制として、そしてラオス国内での反政府ゲリラを続けるモン族への支援の拠点として、欧米諸国が中心となって行いました。しかしソビエト連邦崩壊後、東西冷戦が終息に向う1990年代になると、タイはラオスとの関係改善をめざすことになります。それにより難民キャンプのモン族の存在が重荷になったタイ政府は、1991年、移動の自由や耕作の自由を剥奪しました。そして、それに追い打ちをかけるように、1992年、国連が難民問題は解決したという決議を出したため、支援が打ち切りになってしまいました。

こうして、以前は自由にタイ国籍を取得できていたモン族は、この決議によって難民資格を失い、不法滞在者として扱われるようになりました。このような無国籍のモン族は2万人と言われています。

その後、タイ政府はモン族の受け入れを米国に要望し、1万5000人が米国へ移住しました。しかし、米国へ亡命しようとラオスからタイへ越境してくるモン族は後を絶ちません。2004年、とうとう米国は、これ以上受け入れはできないと決定しました。こうしてタイ国境付近でモン族は、ラオスに戻ること以外に、行き場を完全に失ってしまったのです。

2006年12月、タイ政府はモン族難民をラオスへ強制送還するため、タイ国境のノンカイ収容所へ移送しますが、ラオスでのモン族に対する迫害を懸念する国際社会の圧力を受け、強制送還を一時中断しました。しかしその後もキャンプでの拘留を続けたため、2008年1月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、ノンカイで拘留されているモン族難民149人を釈放するよう、タイ政府に要請しました。しかしタイが未だに難民条約に加入していないため、状況は変わっていません。

モン族以外では、同じような経緯でビルマ(ミャンマー)から逃れてきたカレン族などの難民(約15万人)が同じような状況におかれています。この間、タイ政府とラオス政府は「ラオス・タイ国境安全委員会」を2007年5月に設置し、2008年末までにモン族をラオスへ強制送還する意向を明らかにしました。

日本の外務省によると、2008年12月現在、合計417人がラオスへ引き渡され、未だ6130人のモン族がタイで暮らしています。国境なき医師団は、タイ政府は2008年6月に、モン族難民800人をラオスに強制送還したと報告しています。

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