トルコ:外出禁止令と弾圧で家を追われるクルド人

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2016年12月14日
[国際事務局発表ニュース]
国・地域:トルコ
トピック:強制立ち退き

トルコでは、この1年間で世界遺産の地スールの住民数万人を含む50万人が、国の激しい弾圧で家を追われた。これは、集団的処罰にあたる。

アムネスティは、この弾圧状況を調査した報告書を出した。その中で、反政権派のクルド人に対する締め付けが激しさを増す中、昨年末の徹底した治安活動と夜中の外出禁止令により、ディヤルバクルの歴史地区から多くのクルド人家族が自宅を追われて悲惨な状況に置かれていることを明らかにした。かつてにぎわった地区の家屋が砲撃で破壊され、取り壊され、地元住民にほぼ何の益にもならない再開発が進められている。

2015年7月、クルド労働者党(PKK)の武装勢力と治安部隊との停戦協定が破られ、衝突が再開した。PKKの「自治政府」宣言、ディヤルバクル中心部のスールをはじめとする南東部でのバリケード構築や塹壕の掘さくに対抗して、政府側は24時間の外出禁止令と重武装の治安部隊による治安活動を開始した。

12月には、スール近隣15地区のうち6地区に無期限の外出禁止令が出され、食料品や医薬品を買いに行くことさえできなくなった。警察が拡声器で地区を離れるように命じたという。家屋が軍の砲撃で揺れ、銃弾が飛び交い、電気と水道が長期間止められた。

スールでの衝突は2016年3月に終わったが、外出禁止令は同地区の広い範囲に出されたままだ。強制的に立ち退かされた後、私有財産はほぼ政府に没収され、多くの建物が取り壊された。外出禁止令と破壊で自宅に戻ることはできない中、住民の中には危険を承知で自宅にもどった人もいたが、自宅が荒らされ、家財道具が奪われたり壊されたりした跡を目の当たりにするだけだった。

ある女性は、「自宅を追われてから半年後に戻ると、警官からひどい目にあった。もう二度と戻らない。家財は全部壊されていた。補償として受け取った3000トルコリラ(800ユーロ)では、何の足しにもならなかったが、不満を言ってもこれ以上は一文も出ないと言われ、しぶしぶサインした」と嘆いた。

家を追われた住民は替わりの家屋を見つける余裕などなく、生活に不可欠な行政サービスを受けるのにも四苦八苦していた。大人の多くが職を失い、子どもは学校に行けなくなった。補償は不十分で、代替住宅はいい加減な代物だったり、そもそも住宅支援がなかったりで、そうでなくても貧しい人びとを困窮へと追いつめている。

さらなる問題は、クーデター未遂事件の後、クルド人の反政府の声を封じようとする中で、家を追われた住民を支援していたNGOが活動できなくなったことだ。

住民にしてみれば、外出禁止令と取り壊しは治安維持のためだという政府の説明は嘘だという。衝突は8カ月も前に収まっているからだ。代替住宅を用意して住民を追い出したうえで地区を再開発することは、はじめから政府の筋書きだというのだ。2012年の都市再開発計画がまた持ち出されてきたもので、詳細はまだはっきりせず、住民には何の相談もない。これまでも再開発で住民が立ち退かされて二度と戻れなかったように、今回も同様の状況になるだろう。

背景説明

スール住民の多くは、もともと1980年代や90年代に田舎の村を追われて移住してきた人たちだ。当時の治安当局の強制移住政策により、ディヤルバクルの人口は2倍以上に膨れあがった。

2016年7月のクーデター未遂後に導入された戒厳令のもとで、トルコ南東部の人権状況は悪化してきた。一連の政令の発令で、反政権派のクルド勢力はほとんど排除され、メディアやNGOなどは閉鎖された。スールとディヤルバクルの市長ら選挙で選ばれた首長は、政府が任命した者に取って替わられた。

11月、トルコ中の何百ものNGOが「テロ組織との関係もしくは国家の治安に対する脅威」という漠然とした理由で解散させられた。その中には、スールからの住民の支援に力を入れてきた団体もあった。

アムネスティ国際ニュース
2016年12月6日

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