日本:難民・入管制度を改革し、繰り返される悲劇に終止符を

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2024年3月11日
[ブログ]
国・地域:日本
トピック:難民と移民

ウィシュマ・サンダマリさんは、30歳の誕生日を目前に母国スリランカから日本へ渡った。英語教師としての新しい生活を夢見て。

それから4年も経たない2021年3月6日、ウィシュマさんは名古屋の入管収容施設で息を引き取った。彼女は亡くなる前の数カ月間、目に見えて衰弱しきっていた。

2007年以降、彼女のように入管で死亡した外国人は18人を数える。先進国の中でも難民や移民にもっとも冷たい国である日本の、きわめて厳しい入管法の犠牲者たちだ。

ウィシュマさんの死は、国際人権基準に反して個人の無期限かつ恣意的な拘束を可能にする、日本の懲罰的な入管行政の問題点を痛烈に浮き彫りにしたものだった。彼女の死から3年が過ぎようとしているが、その責任をだれも取ろうとはしない。彼女の遺族は日本当局に責任を求めた。

遺族の訴えは切実だ。ウィシュマさんは2017年6月、15カ月間有効の学生ビザで来日し、日本語を学び始めた。2020年8月、彼女はオーバーステイで拘束され、その6カ月半後に原因不明のまま死亡した。しかしながら、死の兆候はあった。亡くなる数週間前には、ストレスによる胃の不調のため、体重が20kgも落ちていたとの記録がある。繰り返し痛みを訴えたにもかかわらず、彼女は治療を受けられなかった。

ウィシュマさんは医師の診察を受けるための申請書を何度も書き、入管施設からの「仮放免」を求めた。死の間際に書かれた申請書の筆跡は、ほとんど解読不能なほどに乱れていた。彼女の死後に作成された内部報告書によると、入管の職員は、彼女の訴えが外に出るための詐病であるとの誤った認識をしていたことが明らかになった。 

こうした証拠がありながらも、遺族が入管幹部らを訴えた裁判は検察によって2度も不起訴にされている。遺族は現在、ウィシュマさんが不当に収容され、必要な医療を受けられずに死亡したとして、1億5,600万円(135万ドル)の損害賠償を求めて政府を提訴している。その中で、ウィシュマさんが収容施設で死亡するまでの様子をすべて収めた監視カメラ映像を求めているが、国がこれまでに証拠として提出した映像はたったの5時間分しかない。その映像の中では、バケツの中に吐血し、「死ぬ」と繰り返し訴えるウィシュマさんに、職員がこのように応える様子が映っている。「大丈夫、死なないよ。あなた、死んだら困るもん」

ウィシュマさんは入管の職務怠慢の犠牲者であると、遺族は言う。しかし、それと同時に、日本の入管収容政策の本質的な残酷さがもたらした犠牲者でもあるということは、疑いようがない。

2022年、アムネスティ・インターナショナルによる入管実態調査のために、私はウィシュマさんと同様に入管施設に閉じ込められている人たちから聞き取りをした。母国の紛争から逃れてきた人もいれば、迫害から逃れて難民となった人もいた。ウィシュマさんと同じように、その多くはかつて日本での新しい人生に希望を抱いていた人たちだが、彼らが物語る収容施設での生活は凄惨なものだった。

私が話をした被収容者たちの中には、自殺未遂を目撃したという者もいれば、自身が自殺を図ったことがある者もいた。首吊り未遂や窒息死、薬の過剰摂取、洗剤の飲用、さらには自ら喉をかき切る男の姿を目撃したとの証言もあった。

一時は、ウィシュマさんの死とそれが呼び起こした人びとの憤りが、難民や庇護希望者の扱いを見直すきっかけになるかのように思われた。彼女の死を受けて日本政府は、当時国会で審議される予定だった入管法改正法案を撤回した。この法案では、非正規移民を無期限に収容できる現行制度が維持されているなどさまざまな懸念があり、多くの団体が改善を求めていた。

しかし、変革への淡い期待は早々に打ち砕かれた。2023年6月、政府はウィシュマさんの死がまるでなかったことかのように、撤回したものとほぼ同じ内容の法案を国会に再度提出したのだ。そして可決された。

国際人権基準においては、収容はごく限られた場合に、最終手段としてのみ許されると強調されているが、日本の入管法の致命的な欠陥のひとつに、外国人の一律収容を可能にしている点がある。これは無期限収容のリスクを増大させ、常態化させるもので、私が日本全国で会った多くの被収容者たちはこの苦しみの最中にいる。また、庇護希望者が適正な手続きを保障されず、入管の処分について訴訟を起こす権利を侵害されていることは大変遺憾である。これでは、行政府が移民の人権を好き勝手に制限できてしまう。

これらのうち、どれかひとつでも改善されていたら、ウィシュマさんは助かっていたかもしれない。

しかし今は、とにかくこのような悲劇が二度と起きないよう、変革を推し進めることが喫緊の課題だ。

ウィシュマさんの遺族の闘いは、彼女の死の責任の所在を明らかにするだけにとどまらない。人権侵害を繰り返す日本の入国管理制度が、とうに破綻していることを、白日の下に晒す闘いでもある。

ウィシュマさんが命を落とした責任は誰にあるのか、日本当局は、徹底的かつ独立した調査を行わねばならない。また、ウィシュマさんの家族に、彼女が亡くなるまでの監視カメラ映像を提供しなければ、後ろめたい事実を秘匿したとしてこれからずっと非難され続けるだろう。

そして日本政府にとって最も重要なのは、入管行政改革を再び俎上に載せることである。現行の法律は日本が遵守すべき国際人権基準を満たしていない。

日本の難民認定率はG20加盟国の中で最も低い。2022年には全申請数のわずか2%にも満たない202件しか認定されず、10,143件もの申請が不認定となっている。

いったい、いつになれば日本は考えを改めるのだろう。日本が、難民や移民、そしてウィシュマさんのような人たちがより良い人生を生きられる国になる日は、いつ来るのだろう。

(アムネスティ・インターナショナル東アジア調査員 ジャン・ボラム)