先住民族/少数民族 - アフリカの先住民族

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マジャン/エチオピア

1994年に制定された憲法の多民族主義により、エチオピアは2つの特別州と民族の分布にもとづく9つの州に分けられています。しかし、 この州の分割により、森の民であるマジャン(Majang。民族集団を表す時にはマジャンギル)が住み続けていたエチオピア南西部の森は三つに分けられま した。このため、マジャンはガンベラ州からは連邦議会へ代表者を送る権利を持っていますが、その他の州ではその権利を持っていません。その結果、州内で多 数派の民族に比べて行政サービスは後回しになり、どこに学校や診療所、道路を作るか、高等教育を受けるための推薦枠を何人取れるか、といったようなこと で、実質的に不利な扱いをされています。

南部諸民族州の町テピは、1950年頃にマジャンの森をアムハラ(エチオピアの代表的民族)が開拓してできた町ですが、シェカチョー(テ ピより北に住んでいた民族)が代表権を持つイエキ行政区に組み込まれました。この地域がコーヒーやターメリックなどの市場価値を持つ多くの農産物の産地 だったためだと考えられています。

2002年3月、イエキ行政区の警察権を持つシェカチョーにより、テピ周辺のマジャンとシェコ(マジャンの南東に住む民族)が襲われまし た。人々は家の中に追いつめられて火を放たれ、マジャンは約20名の死者、シェコは数百名の死者を出しました。この時、警察はマジャンらを助けず、事件を 内々に処理しようとしました。

数か月後、この事件が海外に報じられてシェカチョーは非難され、同年8月、政府は加害者側の政治家などを処分しました。

2008年、マジャンが住んでいる森のかなりの面積をアブラヤシのプランテーションとして開発しようという計画があるとの情報が流れまし た。具体的な計画の内容は分かっていませんが、同様のプランテーションはエチオピア国内でいくつか計画されていて、マジャンの人たちは大きな不安を感じて います。

マラゴリ /ケニア

18世紀、イギリスの植民地政府は、森の民であるマラゴリ(Maragoli)が住むケニア西部の約470haの広さの森を一方的に国有化しました。

1963年、ケニアはイギリスから独立しましたが、それまで白人の支配下で白人の屋敷の使用人やプランテーションの現場監督の役割を与え られていたマラゴリは「サーバント・トライブ」(使用人の部族)と呼ばれ、大臣や上級公務員の地位につける者はいませんでした。マラゴリの森の住人は土地 登記上、不法占拠者で、強制退去の対象となっています。

政府はケニアの森林資源を保護するため、レンジャーを設置して「部外者」が森へ立ち入ることを制限しました。また、森を観光資源として活用するため、野生動物の移入を図ったことで豹やハイエナが急増し、家畜や子どもが襲われる事件が相次ぎました。

1990年、害虫の異常発生により森林が大きな被害を受け、政府は駆除に失敗しました。

1992年、政府は許可証を発行した業者だけに被害地域に限った伐採を認めましたが、許可業者は被害にあっていない木も切り出し、無許可 業者らも伐採を始めました。住むところを追われた豹がマラゴリの村の人々を襲うようになり、豹を追い払うためにマラゴリ木々を切り倒さざるをえず、 1997年末までに森は消え、はげ山になってしまいました。

これに対して政府は国連や海外NGOなどとともに森の回復に乗り出し、地元に森林管理委員会を作りました。この委員会は実際には森の中に住んでいない地域の有力者が実権を握っていたため、マラゴリは彼らを政府の代弁者とみなして再植林の計画を拒否しました。

マラゴリは自然保護と資源管理のもとに押しつけられる森の国有化を拒否し、自分たちが耕作し居住する土地の登記を認めることを求めています。

オゴニ、ウグボロド /ナイジェリア

オゴニ(Ogoni)が暮らすニジェール・デルタはナイジェリアの石油産出地で、開発による環境破壊が進み、地表からガスの炎が噴き上 がっていて夜でも明るくなっています。マングローブ林や湿地帯を貫いてパイプラインや道路が敷かれた結果、魚の産卵場所は破壊され、水の流れが変わって漁 業と農業に大きな影響を与えています。シェル社は、石油が流出しても除去もせずに簡単な修理だけで済ませています。

1990年、オゴニ出身の作家、ケン・サロ・ウィワは、これらの問題に取り組むため、オゴニ民族生存運動(MOSOP)を設立し、政府とシェル社によるオゴニ地域の石油採掘に反対するキャンペーンを始めました。

1995年、政府はサロ・ウィワと仲間の活動家を、政府に協力的だったオゴニの指導者4人を殺させた疑いで逮捕しました。サロ・ウィワたちには死刑判決が下され、絞首刑になりました。彼らの逮捕と処刑は、石油開発の反対運動による政治的な理由だと考えられています。

また、2005年には、政府の特別部隊がウグボロド(Ugborodo)の居住地付近からシェブロン社のエスクラボス石油基地にいた抗議者に発砲し、1名の死者と数名の重傷者の被害が出ました。政府もシェブロン社も十分な医療の提供や負傷者の搬送を支援しませんでした。

出典

マジャンについて

  • 佐藤廉也、2008、「マジャン 森に棲み、森に生かされる人びと」、綾部ほか編著、『講座 世界の先住民族 ファースト・ピープルズの現在 05 サハラ以南アフリカ』、明石書店
  • 佐藤廉也、2005、「森棲みの戦術 二〇世紀マジャンの歴史にみる変化と持続」、福井勝義編著、『社会化される生態資源 エチオピア 絶え間なき再生』、京都大学学術出版会
  • 「エチオピア連邦民主共和国」(外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ethiopia/data.html
  • 「エチオピア」(MSNエンカルタ百科事典ダイジェスト http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761573854_5/content.html 2009/7/16 10:55)

マラゴリについて

  • 松田素二、2002、「支配の技法としての森林保護 西ケニア・マラゴリの森における植林拒否の現場から」、宮本 正興・松田素二編、『現代アフリカの社会変動 ことばと文化の動態観察』、人文書院

オゴニ、ウグボロドについて

インドの先住民族へ

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