スーダン:アムネスティ代表者を拘禁、人権活動家に嫌がらせ

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2006年1月31日
国・地域:スーダン
トピック:危機にある個人
アムネスティの代表者を含む代表団が、ハルツームで行われているNGOフォーラムにおいて拘束されたのを受け、アムネスティインターナショナルは本日、スーダンの人権活動家の身の安全について深刻な懸念を表明した。

アムネスティのアフリカ・プログラム局長のコラウォウル・オレイニアンは「会議は、当局も以前から知っている通り、この地域における和平と正義のために働く人たちが集まる透明性の高い会合だった。スーダンが人権活動家を拘束し嫌がらせをするのは、アフリカ連合の基本法を含む、国際および地域基準により定められた義務に明らかに違反している。同時に、アフリカ連合がスーダンの首都で会議を開いているさなかの政府のこの行動は、アフリカ連合の信頼と権威を損なう結果となった」と語った。

「昨夜の出来事は、スーダン政府による人権活動家弾圧が増加していることを示しており、私たちは、こうした出来事が今後も続くことを恐れている。国内の人権活動家に対する嫌がらせを直ちにやめるよう、スーダン政府に要求する」

NGOフォーラムでは、国内および国際的なNGO、国連の代表者2名、欧州評議会(EC)の代表者が一堂に会した。会議は、この地域における和平と正義に関する問題について話し合うために、アフリカ連合の会議と並行して行われた。

現地時間の昨日午後5時55分、私服の治安部隊がNGOフォーラムが行われている建物に入ってきた。治安部隊(その数は6から15とさまざまであった)は、すべての代表者らに携帯電話の電源を切るよう命令した。そして、会議は無許可であると述べると、全参加者の氏名を提出するよう要求した。およそ40名の参加者は、書類とラップトップ型コンピューターを手渡すよう命令された。抵抗した参加者もいたが、治安部隊が無理やりかばんを開けさせた。小さな小競り合いが始まり、この時点でさらに多くの治安部隊がやってきて部屋を取り囲んだ。参加者全員のスチール写真とデジタル写真、そしてビデオが撮影された。身体を押されたり、「言われたとおりにしないとあとで困ったことになるぞ」と脅された参加者もいた。また、参加者は再三にわたって所持品を渡すよう要求された。

治安部隊は、参加者を国内と海外からのグループとに分けようとした。また彼らは参加者を男女に分けようとしたが、参加者の多くが言いなりになるのを拒否した。

その一方で、建物の外では人が集まっていた。その多くはジャーナリストと外交関係者だった。治安部隊は彼らが建物に入るのを阻止した。

午後9時ごろ、治安部隊は海外の参加者を解放しようとする一方で、スーダン国籍の参加者を押しとどめた。あとに残されるスーダン人参加者の身の安全を案じ、海外参加者が解放に抵抗した。最後には全員が正面玄関に連れて行かれたが、全員が解放されるまで、ここでもグループが何度も二つに分けられそうになった。

参加者全員の解放後、国家安全局の政治部が参加者2人に電話をし、治安担当の役人と会うよう求めた。フリーのジャーナリストで、また国境なきジャーナリストとスーダン拷問反対協会のメンバーでもあるファイサル・アル・バキル氏(49)と、同会議の議長の1人で、地元のNGOであるアマル・センターと人権と環境開発のためのハルツーム・センターの事務局長であるナジーブ・ナヒメディン博士(60)が、サレ・アルオベイド国家安全局政治部長との面会のためにそれぞれの自宅から連れ出された。彼らは、会議そのものは何の問題もないが、「タイミングが悪い」と言われたという。アフリカ連合をめぐる敏感な状況のため、この会議は挑発的と取られかねない、という意味だと思われる。

背景:
ファイサル・アル・バキル氏は過去にも、2001年1月13日から26日まで、国家安全局の同じ部により隔離拘束されている。同氏のコンピューター、オートバイ、その他書類は没収された。海外から帰国するたびに入国管理局により拘束・尋問されるか、国家安全局により自宅から連れ出されている。

ナジーブ博士も1989年の12月から1991年の5月まで、ハルツームにあるショバットとコベル刑務所に拘禁されていた。

アムネスティ発表国際ニュース
(2006年1月23日)
AI Index:AFR 54/001/2006

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