イラン: アラブ系イラン人4人が不公正な裁判で死刑執行

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2007年1月24日
国・地域:イラン
トピック:死刑廃止
アムネスティ・インターナショナルは、本日4人のアラブ系イラン人に対して死刑が執行されたことを非難し、先日不公正な裁判で死刑判決を受けたとされる他の死刑囚たちの生命について懸念している。

アムネスティはイラン当局に対し、死刑の執行を停止し、拘禁下のすべて人びとが拷問と虐待を受けないよう保障することを求める。

イランでは驚くべき割合で死刑の執行が続いている。アムネスティは2006年に少なくとも177人の処刑を記録しているが、実際の数字はこれよりもはるかに多いと思われる。このうち少なくとも4人は犯行時に18歳未満だった。さらにこのうちの1人は執行された時にもまだ18歳になっていなかった。2006年に未成年時犯罪者の死刑を続けていたのは、世界中でイランとパキスタン(パキスタンは2000年に青少年司法制度法を施行し、国のほとんどの地域で未成年時の犯罪に対する死刑の適用を廃止したにもかかわらず、死刑の適用が続いた)。2007年に入ってから現在までに、本日の執行を含めて、アムネスティはイランでの19人の処刑を記録している。

本日処刑されたのはハラフ・デルハブ・フダイラウィ、アリレザ・アサクレー、ムハマド・ジャーブ・プール、アブドラミル・ファルジャラ・ジャーブと思われる。2005年10月にフーゼスタン州アフワズで爆破事件があり、少なくとも6人が死亡、100人以上が負傷したが、この事件に関与したとして、神に背く行為で10人のイランの少数派アラブ人が有罪判決を受けたが、4人はこの10人に含まれていた。伝えられるところによれば、この4人は執行前の2週間、弁護人との接触を拒否されていたという。

2006年11月9日、フーゼスタン州のアッバス・ジャーファリ・ドウラト・アバディ検察長官は、同州での爆破事件に加担したとされた19人のうち10人に対する死刑判決を最高裁が支持したと述べ、彼らが公開絞首刑に処せられると発表した。

2006年11月13日、イランの地方テレビ局であるフーゼスタン・テレビで、上記の人びとのうち9人の「自白」が含まれたドキュメンタリー・フィルムが放映された。この番組で、アル・エ・ナセールのメンバーとされる10人の人びとが爆破事件への関与を「自白」した。アル・エ・ナセールは、アラブ系イラン人の無名の戦闘集団で、1980年代のイラン・イラク戦争以降はほとんどその活動が知られていない。

2006年12月19日、このうち、アブドラ・スレイマニ(当初はアリレザ・アサクレーと名乗っていた)、マレク・バニタミム、アリ・マトゥーリ・ザデーの3人がフーゼスタン州の刑務所で処刑されたと伝えられた。

執行後、遺体は家族の元に戻されなかったと言われている。「呪われた者の場所」と呼ばれている、墓標のない集団墓地に埋葬されていると懸念される。家族の元へ人びとが弔問に訪れるのを治安部隊が妨害したと伝えられている。

アムネスティが受け取った情報によれば、2006年3月2日頃、逮捕に先だち、ハラフ・デルハブ・フダイラウィは連れ去られる前に治安部隊に銃撃されたという。家族は、彼が射殺されたと思っていたが、数日後に当局から、ハラフ・デルハブ・フダイラウィはセピダルの拘禁センターに移送されたという電話があった。妻と4歳の息子は2006年3月7日にアフワズで拘束され、現在も拘禁されている(アムネスティ緊急行動65/06, MDE 13/028/2006およびイランに関するアピール・ケース『アフワズの4人のアラブ女性と2人の子ども:良心の囚人』AI Index: MDE 13/059/2006、http://web.amnesty.org/library/Index/ENGMDE130592006?open&of=ENG-IRN を参照)。ムハマド・ジャーブ・プールとアブドラミル・ファルジャラ・ジャーブも2006年3月7日に逮捕されたと伝えられている。

2006年6月の初め、革命裁判所第三支部を訪れた7人の被告側弁護人(被告人のうち10人は死刑判決を受けた)は、裁判での規則違反に対する不服申立てを裁判所長に対して公式に行なった。弁護人らは、裁判の日程は前日か前々日にしか知らされなかったが、民事訴訟法第64条では最低5日前と規定されていること、被告人調書を十分に検討することができなかったこと、要求したにもかかわらず、また、2006年5月20日に司法長官の発言(「何人も法律に違反する命令を下す権利はなく、家族や弁護士と面会する権利を被疑者から奪う権利もない。当局の立会いなしで弁護士と接見することを要求する権利があることを、被疑者は明確に知らされねばならない。」)があったにもかかわらず、当局の立会いなしでの依頼人との接見が許可されなかったことなどを挙げた。さらに弁護人たちは、他の被告人やその弁護人抜きで裁判が行なわれたことについても不服申立てを行なった。

この書簡の後、2006年10月、法律上の手続について不服を申し立てたことで国の治安を乱し、インターネットでこの件を海外向けに公表したとして、少なくとも5人の弁護人がアフワズの革命裁判所第七支部に呼び出された。彼らは保釈金を払って釈放されたと伝えられている。

2007年1月10日、超法規的、即決あるいは恣意的処刑に関する国連特別報告者のフィリップ・アルストン氏、裁判官と弁護士の独立に関する国連特別報告者のレアンドロ・デスポイ氏、拷問に関する国連特別報告者のマンフレッド・ノワク氏の3人の国連の主要専門家が共同でイラン政府に対し、「アフワズの少数派アラブ人である7人に差し迫っている処刑を停止し、公正な裁判と公聴会を行なうこと」を求めた。この7人とは、アブドレザ・サナワティ・ゼルガニ、カセム・サラマト、ムハマド・ジャーブ・プール、アブドラミル・ファルジャラ・ジャーブ、アリレザ・アサクレー、マジェド・アルボバイシ・ハラフ、デルハブ・フダイラウィだと伝えられている。3人の国連の専門家は、「私たちは、彼らが重大な犯罪で起訴されたことを十分に承知しているが、だからといって、適正な手続を無視した裁判による有罪判決と死刑執行が正当化されることはない」と述べた。

背景情報

イランのアラブ人コミュニティーは、その多くがイラク国境のフーゼスタン州にある。同州にはイラン有数の油田があるため戦略的に重要な地域だが、アラブ人は、その恩恵をペルシャ人ほど受けていないと感じている。歴史的に、アラブ人社会は隅に追いやられ、差別されてきた。イラン政府が国内のアラブ人を分散あるいは強制的に同化させる計画を立てているとされた後の2005年4月、アラブ系イラン人はアフワズでの大規模なデモを行なった。このデモで数百人が逮捕され、拷問されたとの報告も数件あった。少なくとも14人が死亡した2005年6月と10月のアフワズでの爆破事件、また9月と10月の石油生産施設での爆破事件が起こった後、暴力の連鎖が強まり、数百人が逮捕されたと伝えられている。2006年1月24日にも爆破事件があり、少なくとも6人が死亡し、大量の逮捕者が出た。メハディ・ナワセリとアリ・フウデ・アフラウィの2人の男性が、10月の爆破事件への関与で有罪となり、2006年3月2日、公開処刑された。2人は、革命裁判所での不公正な裁判を受けた後に処刑されたが、裁判中は弁護士との面会も拒否されていたと思われる。彼らの「自白」は、他の7人の人びとの「自白」とともに、テレビで放映された。

アムネスティは、民間人に対する爆破事件やその他の攻撃を非難し、また刑事犯罪の被疑者を裁判にかける権利と責任が政府にあることを認識している。しかしその際政府は、公正な裁判を受ける権利など、国際人権法に定められた義務に反してはならない。アムネスティは、死刑は生きる権利の侵害であり、残虐で品位を傷つける刑罰の究極の形態であることから、死刑に無条件に反対している。イランにおける死刑のアピール・ケース『死刑に直面する11人のアラブ系イラン人』(AI Index:MDE13/051/2006,http://web.amnesty.org/library/Index/ENGMDE130512006?open&of=ENG-IRN)を参照。

これまでもイランでは、録画された「自白」をテレビで放映してきた。過去のケースでは、こうした「自白」をした人びとが後になって、自白は拷問や虐待によって強制されたものだと述べている。

イランは自由権規約の締約国であるが、同規約第14条3項(g)には、自己に不利益な供述または有罪の自白を強要されない権利が定められている。国連被拘禁者保護原則の原則21は、自白させたり、自己に罪を帰せたりすることを強制する目的で、被拘禁者の状態を不当に利用することを禁止している。

アムネスティ国際ニュース発表
(2007年1月24日)
AI Index: MDE 13/005/2007

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