10月18日(土)、森達也さんをお招きして、講演会「死刑のある国ニッポン」を開催しました。当日は、秋晴れの行楽日和にもかかわらず、70名を超える方にご参加いただきました。

この講演会の企画当初、「死刑をテーマにした講演会には人が集まりにくいのではないか」との意見もありましたが、予想外にたくさんの方が来てくださいました。

主催したアムネスティ日本 死刑廃止チームのコーディネーターが報告します。

ジャーナリストの森達也さんは、“日本という国の現状なぜこうなってしまったのか今後、私たちはどうしていけばいいのか について、活発な言論戦を展開しておられる方です。死刑に関しても、『死刑』(2008年)という著作があり、また 『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(2013年)という挑戦的なタイトルの本も出版されています。

自分の目で見ないとわからない

「私たちはメディアによる評価を信じがちだが、自分の目で見ないと判断はできない。」とのお話から講演が始まりました。カンボジアから帰国されたばかりだったこともあり、ポルポト政権による知識人等の弾圧がいかに凄惨だったかを語られ、「カンボジアがその事実をきちんと公開し、それを見るために訪れる人が世界中にいるというのは大事なことだ」と言われました。

また、死刑制度は必要だと主張する人が、死刑事件の裁判で被告人を直接見る機会を得た後、「私は死刑には賛成だが、あの被告人の死刑には反対だ。なぜなら彼は"ふつうの人"だからだ」と言ったという話に言及したうえで、「自分の目で見た上での判断が、そうでない場合とはまったく逆になることもあり得る」と述べられました。

「厳罰化の流れ」と「寛容化の流れ」

日本で1995年の地下鉄サリン事件以降、厳罰化の流れが急速に進み、中国や北朝鮮に対して強硬な姿勢をとる政治家が支持される傾向が強まったこと、2001年の同時多発テロ以降の米国でも同じ状況が起きたことを説明された後、その流れとは逆に寛容化が進むノルウェーの刑事政策のお話にうつりました。

ノルウェーの犯罪学者ニルス・クリスティ氏によると、犯罪者には3つの「不足」があるそうです。それは、「幼年期の愛情」「少年期の教育」「現在の貧困」で、こうしたことに苦しんできた犯罪者を刑罰によって苦しめることには意味がないとして、ノルウェーでは70年代から徐々に刑務所の処遇を改善していきました。

その一方で被害者へのケアも充実させていきます。その結果、治安が着実によくなり、現在では殺人事件はかなり減少しているそうです。

寛容化は決してヒューマニズムからではなく、現実に治安がよくなるから行っているのだとの話がとても印象的でした。日本で主流となっている考え方とは正反対のものです。

「一人ひとりがどうするか、それを考えることが大事」

森達也さんのお話の中で、参加者への宿題として課せられたと思うのが、以下のお話でした。

「日本で厳罰化が止まらないのは、報道のありかたによるものが大きい。日本は世界で最も事件報道がはげしい。

警察の統計によれば、凶悪事件の認知件数は1955年をピークに減少の一途をたどり、ここ数年は最少を更新し続けている。にもかかわらず、殺人事件が起これば日本中で大々的に取り上げられるので、人びとは不安と恐怖に駆られ、厳罰化と防犯カメラを容認するようになる。

しかし、メディアが煽るから人びとが厳罰化を望むのか、人びとが刺激の強いニュースを求めるからメディアがそれにこたえて事件報道が過熱するのか。にわとりとたまごのような関係だが、確実に言えることは、メディアが三流なら国民も政治も三流であるということ。

それをどう変えていくのか。自分から変わるしかない。一人ひとりがどうするか、それを考えることが大事だ。ともに考えていきましょう。」

死刑制度について

講演全体を通して、何度も死刑制度について触れられました。被害者遺族の感情、無罪推定、世論と政治家の英断など、飾らない率直な言葉で、熱く訴えかけられました。「私は死刑には反対です。」と断言されたあと、会場をじっと見渡す森さんを見つめ返しながら、私たち自身はどうなのか、と問いかけられている気がしました。

これまで死刑制度について考えたことのない人たちも、今回の講演会を聞き、「宿題」としていろいろなものを持ち帰ってくださったと思います。
参加者から「感動した」「お話を聞けてよかった」との声が非常に多く、大成功の講演会となりました。
 

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会場の様子

開催日 2014年10月18日(土)18:30~20:30
開催場所 エル大阪(大阪市)
主催 アムネスティ・インターナショナル日本 死刑廃止ネットワーク大阪

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