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大韓民国:死刑反対の論点~アムネスティ事務総長の公開書簡~

2006年6月28日
国・地域:大韓民国
トピック:死刑廃止
千正培 法務大臣

閣下、
貴国政府が死刑の問題点を検討し、死刑の廃止を審議する決定をしたことに対し、アムネスティ・インターナショナルを代表して歓迎の意を表明します。

貴国が死刑を廃止すれば、世界の多数派の仲間入りを果たし、死刑廃止の世界的な潮流を支える重要な一歩を踏み出すことになります。世界の124カ国が、法律上あるいは事実上死刑を廃止し、昨年は、死刑を実際に執行した国はわずか22カ国でした。

1948年の独立以来、貴国では少なくとも900人が処刑されました。そのほとんどは絞首刑でした。最後に処刑が行なわれたのは1997年12月で、23人が突然執行されました。1998年2月、自らも死刑判決を受けた経験のある金大中氏が大統領に就任して以来、非公式な形で死刑の執行停止が続いているという事実をアムネスティは評価しています。現在の盧武鉉政権下でも死刑の執行は行なわれていません。しかし、昨年は少なくとも3人、今年は1人が死刑判決を受け、現在は63人の死刑囚がいます。

近年、世界中で多くの国ぐにが死刑を廃止しました。ヨーロッパでは、ウズベキスタン(1)とベラルーシが実際に死刑を執行している以外は、死刑がありません。南北アメリカにおいては、恒常的に死刑を執行しているのは米国だけです。アフリカでは、死刑の廃止に向けての非常に大きな前進がありました。最近ではセネガルとリベリアが死刑を廃止し、昨年死刑を執行した国はアフリカ53カ国のうちわずか3カ国でした(2)。

残念なことに、アジア地域はこの流れに逆らっています。アジアには執行率の高い国ぐにがあり、明らかな廃止の展望もありません。日本、中国、シンガポール、インドネシアなどの国ぐには断固として死刑を支持しているようです。韓国が死刑を廃止すれば、この地域で大変必要とされている人権上のリーダーシップをとることになり、十分に人権を擁護しようと前進する、貴重なお手本となります。また、カンボジア、ネパール、東ティモールが死刑を廃止し、フィリピンが1994年の死刑復活の後、今月、死刑廃止を決めたことなどと並んで、この地域でのあらたな前進を促す一歩にもなるでしょう。

死刑の問題が、政治的な論争や国民的な議論を激しく巻き起こすことをアムネスティは理解しています。死刑は暴力犯罪に対する抑止力があると考えられているため、国民を守るこの刑罰を廃止することは困難であると政府は考えるのです。しかし、死刑が他の刑罰と比べて大きな抑止力を持つということが、科学的な研究によって証明されたことは一度もありません。

以下は、アムネスティの見解と経験にもとづいた死刑反対の論点と、死刑を正当化する際に最もよく用いられる論点です。

<死刑は、被害者とその遺族のために正義をなすものである>

死刑を支持する政治家たちは、犯罪の被害者とその親族を、死刑の正当化の理由として利用しています。例えば米国では、加害者が処刑されることが、被害者の家族にとっての「締めくくり」になると検察は言います。しかし、愛する者を失ったことからくる心の痛みは、そのような単純なものではありません。

アムネスティは死刑に反対ですが、死刑判決を受けた者が犯した罪を過小評価したり許したりしようとするものでは決してありません。人権侵害の被害者に深くかかわる組織として、アムネスティは、殺人事件の被害者の遺族には最大に共感しますし、その痛みを軽視するつもりはありません。

愛する人を殺された人が加害者に強い怒りを感じ、怒りのあまり復讐を求めるのも当然のことです。自分たちの苦しみを示すために、あるいは亡くした人への愛情から、極刑を求めることもあるでしょう。

当局が、殺人事件の被害者に近しい人びとを支援し、苦しみを緩和するためのシステムを構築することはどうしても必要です。しかし、加害者を処刑しても、長期間におよぶ遺族の苦しみをいやすことはほとんどできません。それどころか、処刑された人の家族に同じ苦しみをもたらすことになるだけです。

現実問題として、殺人事件の被害者の生命や遺された人びとの苦しみを重要視していることを示すための方法としては、死刑はふさわしくないのです。

<抑止力としての死刑-死刑を廃止すると犯罪発生率が上がるという恐怖>

「比較的少数の人間を毎年処刑すれば、許容できないほど高い犯罪発生率を下げることができると考えるのは欺瞞である。もっとも効果的に犯罪を抑止するには、犯罪者を逮捕し、有罪判決を言い渡し、処罰する確率を上げることである。今の刑事司法制度にはこの点が欠けている。」

1995年、南アフリカが死刑を違憲として廃止するにあたって、憲法裁判所が出した声明です。

様ざまな国ぐにの多くの政治家が、犯罪予防手段として死刑が必要だと主張し、死刑には犯罪全般に対する抑止効果があると言います。これが真実だとすると、犯罪者は犯行が発覚した時の結果を熟考し、それから、死刑にはなりたくないが長期刑なら仕方がないと判断するということになります。現実には、犯行の最中に、自分が逮捕されるとは考えないと思われます。暴力犯罪を抑止する最良の方法は、検挙率と有罪率を上げることであり、厳罰化ではありません。

死刑が特別な抑止効果をもたないという証拠は世界中にあります。米国、カナダあるいはその他の国ぐにで、死刑がなければ暴力犯罪が増えるという証拠は出ていません。たとえば2004年の米国では死刑存置州の殺人発生率は人口10万人に対して5.71件でしたが、死刑廃止州ではわずか4.02件でした。さらにカナダでは、死刑が廃止されて27年たった2003年には、死刑を廃止する前の1975年に比べて殺人発生率が44パーセントも低下しています。

最近の例では、1995年に死刑が復活したニューヨーク州があります。1990年代の終わりに、それまで上昇していた殺人発生率が下がり始めました。2004年6月、州最高裁は、死刑制度を違憲としました。現在、議員は死刑の再導入に反対しています。死刑が抑止力になるのであれば、死刑が廃止されれば(広く喧伝されるように)潜在的犯罪者は自由に犯罪を実行し、殺人発生率は上昇するでしょう。しかし、その逆の事態が起きています。2005年の上半期(最高裁が違憲と判断してから1年後)、殺人事件は5.3パーセント減少しました。

<無実の人を処刑する危険は常にある>

無罪の人を処刑してしまうという危険は、死刑にはつきものです。また死刑は、韓国でもそうであったように、政治的反対派とみなされた人びとに対して恣意的に用いられてきました。

アムネスティは、無実の可能性のある死刑執行のケースを世界中で記録してきました(3)。1973年以降に米国で、無実の証拠がみつかって釈放された囚人は現在までに123人います。また中国では、1995年に強かんと殺人の罪で労働者の轟樹斌が処刑されましたが、当時、彼の自白は拷問によって得られたものであるとの報告があります。2005年3月、別の事件で逮捕された人が、轟樹斌が自白した犯罪について自らすすんで自白し、犯行状況を克明に描写したと伝えられました。

他の国ぐにでも、多くの人びとが無実の罪で死刑判決を受けています。米国では、死刑判決を受けた後で無実であることが明らかになった122人が釈放されています。日本では、4人の死刑囚が、起訴は間違いであったと判明して釈放されました。4人は何年間も死刑囚として過ごしました。そのうちの1人は34年間も死刑囚監房にいたのです。

<あまりにも凶悪な犯罪に対しては、死刑をもって社会の怒りを示さなければならない>

死刑の執行をもって、殺人を非難することはできません。国家による殺人行為は、犯罪者が被害者に対して身体的な暴力をふるうことと表裏一体です。それに加えて、刑事司法制度は差別や過失と無縁ではいられません。誰が生きて誰が死ぬべきかという問題について、公平に、一貫性を持って、絶対間違いなく決定することができる制度はありませんし、ありえません。ご都合主義、自由裁量による決定、それに多数派世論が、最初の逮捕から瀬戸際での恩赦決定までに影響しているかもしれません。

人権とは、奪うことができない権利です。人権は、身分、民族、宗教、出身などに関係なくすべての人に平等に与えられています。罪を犯した人からも人権を奪うことはできません。人権は、すべての人びとを守るためにあります。ですから、どんな人にも人権はあるのです。

また、死刑制度があると、ある人は死刑になるのに、同じような、あるいはもっと凶悪な犯罪をしても死刑にならない人がいるということがあるのもご存知のとおりです。最も凶悪な犯罪を行なった人だけが死刑になるわけではなく、貧しいために有能な弁護士を雇うことができなかったり、より厳格な検察官や裁判官が担当したりした人も死刑になります。

死刑にしなければならないような犯罪はないということに、国際社会は気付いています。旧ユーゴスラビアとルワンダでの残虐行為の事後処理のために設立された国際戦犯法廷、シエラレオネ特別法廷および国際刑事裁判所はすべて、人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪などの深刻な人権侵害を含む犯罪を裁くために設立されました。これらの法廷には死刑はありません。これをみても、世界の死刑廃止の潮流がいかに強いかがわかります。

<終わりに>

死刑は、人びとの安全を脅かす凶悪犯罪を制御できるという幻想をもたらします。死刑の執行の瞬間、犯罪に対して一矢報いたような感じがします。

しかし、死刑は犯罪撲滅の役に立たないというのが事実です。多くの社会で、暴力をなくすための方法としては除外されています。死刑がいったん廃止されると、社会は死刑執行という残虐行為と無縁で過ごすことに慣れ、時とともに死刑は話題にならなくなり、ほとんど議論されなくなります。

私は、世界中のアムネスティの会員を代表して、人権の名のもとに、韓国が死刑廃止への歴史的な第1歩を踏み出すことを求めます。

アムネスティ国際事務総長
アイリーン・カーン
 

(1)ウズベキスタン政府は2008年に死刑の執行を停止すると約束した。
(2)ソマリア、スーダン、リビア。
(3)例として、 Fatal Flaws: Innocence and the death penalty in the USA,(AI index AMR 51/69/98)を参照。

アムネスティ国際ニュース
(2006年6月20日)
AI Index: ASA 25/005/2006

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