ドミニカ共和国には、隣国であるハイチ系の住民が大勢暮らしています。しかし彼らの生活が一変する出来事が2013年に起きました。

2007年まではドミニカで生まれれば、たとえ親が非正規移民であっても、自動的にドミニカ国籍が認められていました。しかし憲法裁判所がこれは間違いだったと、1929年にまでさかのぼって親の移住資格で市民権の有無を判断することにしたのです。

そのため、ドミニカで生まれ育った大勢の人たちが、無国籍となってしまいました。その多くがハイチ系の住民でした。

この突然の方針転換は、国内外から強い非難を浴び、議会は2014年に救済措置を導入しました。出生証明書や身分証明書などがある人にはしかるべき手続きを踏めば国籍を再度認め、ない人には、身分証明を取得できるよう、6カ月間と期間を区切って帰化申請を受け付ける法を制定したのです。

しかし、手続きの複雑さやドミニカで生まれたことを証明することの難しさなどから、多くの人がこの施策から取り残されてしまいました。ヨランダ・アルシノさんもそのひとりです。

ヨランダさんの両親は、ハイチからの非正規移民です。突然国籍を失ったヨランダさんは、身分を証明する書類がないため、2人の子どもたちの出生登録もできませんでした。出生証明がなければ、学校にも行けません。ヨランダさんの長男はワクチン接種の証明書により、かろうじて小学校への入学を認められましたが、終了試験を受けるためには、出生証明が必要になるため、それ以上の教育を受けることが難しい状況にありました。

また、国籍がないと、まともな仕事にも就けず、社会保険にも入れません。保険がないため、ヨランダさんは子どもが病気になっても、きちんとした治療を受けさせることができませんでした。

アムネスティは世界中で、ヨランダさんをはじめ、身分をなくしてしまった人たちに国籍を返すようドミニカ政府に求めてきました。アムネスティ日本の公式サイトでも署名集めを行いました。

2016年10月、嬉しいニュースが届きました。6月に、ヨランダさんの子どもが2人とも、ドミニカ市民として出生登録されたというのです。つまり、ドミニカの国籍を認める出生証明書が取得できたのです。それに先立ち、ヨランダさん自身も、2015年4月にドミニカ人としての身分証明書を取得できました。

みなさんの声がドミニカ政府を動かし、子どもたちの未来を明るいものに変えたのです!どうもありがとうございました!

hrc_20170328_dominica_b.pngアムネスティから届いた応援メッセージを持つヨランダさんと子どもたち

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