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死刑廃止 - 著名人メッセージ:団藤重光さん

団藤重光さん(東京大学名誉教授、元最高裁判所判事)

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■最高裁判事としての痛切な経験

以前から学者として、死刑は廃止するべきだと考えてはいましたが、最高裁の判事になってから痛切な経験があって、確定的に死刑廃止論者になりました。

それはある事件の裁判でのことです。
もっとも裁判官として、自分が扱った事件をとやかく言うことはできませんから、少し抽象化して申しますので、ご了承下さい。

その事件はある田舎町でおきた毒殺事件でした。

事件の被疑者としてある男が捕まったのですが、彼は逮捕以来ずっと否認を続けていました。 直接証拠は何もないのです。指紋も残っていませんでしたし、他にも直接証拠は何もなかったのですが、状況証拠から言いますと、この人がやったと疑わせるに十分な証拠がありましたので、一審二審ともに死刑判決を受けていたのです。

ところが弁護人の主張によりますと、警察は町の半分くらいを調べただけで、この男を被疑者として逮捕したようです。 そのため弁護人は、「残り半分の地域を調べたら、同じような状況にある人間が出てきた可能性がある」と主張しました。

それはもっともな話です。けれども、それだけで一審二審の死刑の判決を覆すだけの理由があるかというと、個々の状況証拠は動きませんから、それは難しいのです。

判決に影響を及ぼす重大な事実誤認があるときは、下級審の判決を破棄できますが、この程度のことでは破棄できません。私も記録をずいぶん詳しく調べたのですが、合理的な疑いをこえる心証が取れれば有罪というのが刑事訴訟の建前ですから、そのまま判決を確定させることになったのです。

いよいよ死刑判決を言い渡す日になりました。 裁判官がみんな席に着き、裁判長が「本件上告を棄却する」と言いました。

棄却するということは死刑が確定するということです。 そして裁判官専用の出入り口から私たちが退廷し始めたその時です。 「人殺し!」という声が法廷中に響いたのです。罵声です。私たちが罵声を浴びせられたのです。

私はいつもでしたら傍聴席のこんな罵声くらいで驚きはしませんが、正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていましたので、このときの「人殺し!」という声はこたえました。その声は今でも忘れられません。

その事件で私が感じたわずかな不安というものは、多分に主観的なもので、人によって違うと思います。その小法廷の5人の裁判官の中でも、そういう不安を持ったのは、おそらく私だけだったでしょう。残り4人の裁判官は、自信を持って死刑判決を言い渡したと思います。 でも私には、わずかに引っかかるものがありました。

しかし現在の司法制度の下では、このようなケースで判決を覆すことはできません。そして死刑制度がある以上、この事件で死刑が確定したことはやむを得ない結果でした。

私はこの経験を通して、立法によって死刑を廃止する以外には道はないとはっきり確信するようになりました。

■再審への道を広げた「白鳥決定」と、死刑事件における誤判の可能性

それと前後しますけど、私は「白鳥事件」という事件の審理を担当し、「白鳥決定」と呼ばれる判決を下しています。これは再審の基準に関する裁判です。

詳しく申しますと、今までは無実の証拠がなければ再審は認められませんでした。それをこの裁判では、無罪判決になるような新たな証拠が示されれば再審を認めてもよいことにしたのです。つまり再審の基準を緩やかにしたわけです。

刑事訴訟法では、有罪か無罪か分からないような場合は、合理的に考えて有罪の判決に疑いの余地があれば無罪になります。これは刑事訴訟法の鉄則です。私たちは再審の場合にもそれを適用すべきであると考えました。

ですから原判決で認定した事実に疑いを持たせるような証拠が出てくれば、それで再審の開始ができるようにしたのです。

これはかなり大きな前進でした。 「白鳥事件」そのものは棄却されましたが、この裁判の作った基準が後にあたえた影響はとても大きくて、ご承知のようにその後すぐに4つの事件が、再審で次々に無罪になりました。

その中の免田事件と財田川事件は私の小法廷に来ましたから記録も読みましたが、これはやっぱり再審開始が当然だという事件でした。 しかしそういう事件でさえも、今までの古い基準では再審を開始できなかったのです。

新しい基準にしてから短期間で、4人が再審で無罪になったわけですから、私たちも相当ショックでした。「白鳥決定」を出していなければ、4人はおそらく無実のまま死刑を執行されていたでしょう。そして「白鳥決定」以前に、再審の請求をしたにも拘わらず棄却されて死刑になってしまった人は、相当な数いるのではないかと思います。明治以来の事を考えたら大変な数になると思います。

誤判の問題が死刑廃止論の大きなポイントになることは昔から言われていますから、私も学者としてもちろん知ってはいました。しかしまだ身につまされて感じていたわけではありませんでした。

でも死刑の問題は、身につまされて感じなければ本当にはわからないのです。頭だけで死刑が良いとか悪いとかは判断できないはずです。

私は最高裁の審理で、先に述べた事件にぶつかって初めて、この問題を身に沁みて自分のこととして考えるようになりました。 それ以来、私は誤判の問題は決定的な問題だと考えるようになったのです。

人間は神様ではありませんから間違うのは当たり前です。おそらくどんな人でも、死刑存置論の人でさえも、誤判の可能性を否定する人はいないと思います。 それをある程度仕方がないと考えるか、絶対に許せないと考えるか、それはもう人間的な感覚の違いです。

私は結局のところ、死刑存廃の問題はそういう感受性の問題だと思います。 無実の人が「自分がやったのではない」と絶叫しながら死刑に処されていく姿を想像してみて下さい。それがどんな不正義であり許されないことであるか。

頭で考えているだけでは、そう思わない人もいるかも知れません。しかし心で感じるととうてい許せないことです。それだけで私は、誤判論が死刑廃止論の大きな柱になると思うのです。

■日本における死刑制度廃止の展望

死刑制度が存続している以上、死刑判決をなくしてしまうことは難しいと思います。しかし死刑を適用する基準を少しずつ厳しくしていき、死刑判決の数を少なくしていくことは可能であると思います。

以前、「永山事件」の控訴審で船田裁判長は、日本中の裁判官が一人残らず死刑を言い渡すような事件でなければ死刑は適用できないと言い、一審の死刑判決を無期懲役に変更しました。いわゆる「船田判決」です。

最高裁はその後、この判決を破棄し高裁へ差し戻しましたが、私は審理を担当した小法廷の判事から相談を受けたとき、あの形で確定するのは難しいが、船田判決の精神をできるだけ生かして欲しいと伝えました。 そして最高裁の判決をよく読んでみると分かりますが、「船田判決」の精神は十分に生きているのです。

しかしその後、どういう理由か、下級審では以前に比べて簡単に死刑判決が下されるようになってしまいました。その点に関しては、私は今の裁判官に、もっと頭を切り換えてもらいたいと思います。

感情に流されたら裁判は成り立ちませんが、しかし感情を抜きにした血も涙もない判決というのは、司法の精神を殺してしまいます。血も涙もある、しかし法律はちゃんと守るというものにして欲しい。そうすれば死刑判決はもっと減ると思います。

そして死刑判決が減れば、死刑を廃止しても影響が少なくなり、廃止する際の抵抗もなくなると思います。

(この原稿は、アムネスティの死刑廃止入門ビデオ「死刑廃止を考える」作製のため、1998年2月18日に行われたインタビューの一部を、読みやすく書き直したものです。)

 

【団藤 重光(だんどう・しげみつ)さんのプロフィール】  

1913年生まれ。1935年東大法学部卒業。1937~1947年東大法学部助教授、1947~1974年東大法学部教授。1974~1983年最高裁判所判事。 現在、東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化勲章受賞者、法学博士、名誉法学博士(ミシガン大学)、国際刑法学会・国際社会防衛学会各名誉理事、日本刑法学会顧問、アメリカ学芸・科学アカデミー外国人名誉会員。

【主著】
「刑法綱要総論(初版1957、3版1990、英訳1997)」
「刑法綱要各論(初版1964、3版1990)」「刑事訴訟法綱要(1943)」
「新刑事訴訟法綱要(初版1948、7訂版1967、英訳1965)」
「訴訟状態と訴訟行為(1949)」
「刑法と刑事訴訟法との交錯(1950)」
「刑法の近代的展開(1948)」
「条解刑事訴訟法(上)(1950)」 「刑法紀行(1967)」
「法学の基礎(再改訂2001)」
「実践の法理と法理の実践(1986)」
「この一筋につながる(1986)」
「わが心の旅路(1986)」
「死刑廃止論(初版1991、6版2000、韓国語訳2002、中国語訳2002)」

【追記】
 団藤重光さんは2012年6月に逝去されました。生前の死刑廃止へのご尽力に感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。

 

戸谷喜一さん(元刑務官)

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