2019年8月2日の庄子幸一さん、鈴木泰徳さんの死刑執行に抗議する集会(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)が、9月11日に開かれました。

庄子さんは再審請求中でした。再審についての判断は裁判所が行うものですが、その判断を待たずに山下法相が、再審の必要はないと自ら判断して死刑執行を命令したのは、極めて不当だという指摘がありました。集会の参加者は、死刑執行によって殺された2人の死刑囚に思いを馳せ、死刑廃止への道を考えました。

「死刑廃止を求める大道寺幸子・赤堀政夫基金死刑囚表現展」の選考委員である池田浩士さんは、庄子幸一(筆名:響野湾子)さんが応募した膨大な数の短歌と俳句の中から秀逸なものを抜粋して、紹介と講評をしました。庄子さんの作品を年代ごとに追っていくと、死刑が確定したばかりの頃は絶望感と孤独感だけが強く感じられていたのが、徐々に被害者に対する罪の意識や贖罪の気持ちが見てとれるようになり、最近の作品では死刑の執行を意識したものや生への執着を捨てることができない自分自身への恥の意識が表れているものが増えていると池田さんは指摘しました。また、いつ執行があるか分からないという極限の心理状況の中で、自らの表現したい感情を刻みつけるような作品はどれをとっても心に残るものであると評価しました。池田さんは、2015年に詠まれた「青色はひもじき日々の空の色 今監獄の窓に愛しも」という短歌を紹介し、本当の意味での死刑廃止とは、法律的な問題だけではなく、青空でさえ嫌だと感じてしまうほどひもじく恵まれない人生を送り、その人生の最後に許されないほどの大罪を犯し死刑になる、そのような人を生んでしまう社会を作った政治を絶対に許さないことなのだと述べて、講評を締めくくりました。

庄子幸一の支援者の宗教家、シスター・クララ澄子さんは、庄子さんと面会と文通を続けた経験の一部を紹介してくれました。庄子さんの手紙からは、自らの罪に対する反省が表れていたが、最後の数か月間は体調が悪化して、わずかな収入を得ていた袋貼りの作業もあまりできなくなっていたそうです。これだけ反省を深め、また体調を崩した人間を選んで山下法相が処刑したことを証言してくれました。

救援連絡センターの菊池さよ子さんは、ご自分の蔵書を庄子さんに差し入れていました。庄子さんは大変な読書家であり、孤独な拘置所での生活の中で、読書は庄子さんの心の支えになっていたようです。

山下法相は死刑執行についての臨時記者会見で、庄子さんの起こした事件の非道さについては強調しましたが、刑確定後の彼が拘置所の中でいかに生き、何を感じ、また考えていたのかについては一切明らかにしませんでした。法相は、俳句や短歌を通じて自らを表現し、読書に親しみ、支援者との交流の中で自らの罪を深く反省し、それでも生きたいと強く願っていた人間の命を奪ったのです。「関係書類を慎重にも慎重を重ねて精査し」などと法相は言いますが、この執行抗議集会で庄子さんを支援した方々のお話を聞いていると、法相にとっての庄子さんは単なる案件のひとつであって、ひとりの人間ではなかったのかもしれないという気がしました。山下法相の冷酷な決断には人間らしさを感じることはできません。

集会には立憲民主党の石川大我参議院議員も参加しました。死刑制度については、仮釈放のない終身刑の導入によって死刑廃止の世論は優位に増加することを述べ、終身刑の導入も視野に入れつつ、死刑制度の廃止に取り組んでいく、という決意を語られました。

死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90の安田好弘弁護士が現在の死刑制度を取り巻く状況について説明し、国連司法コングレスとオリンピック・パラリンピックの開催を来年に控え、国際社会の眼差しが日本に向けられている中で、それを無視するかのように死刑執行が行われたことを指摘しました。また、内閣改造で法相に就任した河井克行法相は、かつて民主党政権時代の江田五月法相に死刑執行を迫った人物であり、死刑廃止への道はますます険しくなっていること、廃止派の人だけではなく、例えば終身刑を導入するなど、存置派の人もある程度納得して廃止への議論に参加できるようにする新たな活動をすすめること、が求められていると述べました。

抗議声明が読み上げられ、集会参加者の賛成多数で可決し、抗議集会は幕を閉じました。

(報告者:アムネスティ日本 死刑廃止ネットワーク 馬場峻也)

 

実施日 2019年9月11日(水)
場所 文京区民センタ―
主催 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
※アムネスティはフォーラム90の構成団体です。

ヒューマンライツ・サポーターになりませんか?