日本:賠償を求める訴えに耳を傾けようとしない

  1. ホーム
  2. ニュースリリース
  3. 日本:賠償を求める訴えに耳を傾けようとしない
2005年10月28日
国・地域:日本
トピック:女性の権利
本日、アムネスティ・インターナショナルは日本政府に対し、第二次世界大戦の戦前戦中に、日本人によって拘束され性奴隷の生活を強いられた女性たち(いわゆる「慰安婦」と呼ばれる人びと)に対するすべての責任を認めるよう要請した。

包括的な報告書『60年を経て未だに待ち続けている:日本軍の性奴隷制を生き残った女性に正義を』の中で、アムネスティは、「慰安婦」が味わった過酷な取り扱いとともに、女性たちがそのような苦しみを受けたことに対する責任を拒否する際に長年にわたって用いられた弁解をまとめている。第二次大戦の戦前戦中を通じて、20万にのぼる女性が日本軍によって性奴隷とされた。20歳以下が中心で、なかには12歳の少女もいた。この報告書では、日本政府および国際社会に対し、現在も生存している被害者に正義を保証するよう勧告している。

「この悲惨な性奴隷制の被害者に十分な賠償を行うことによって、日本政府は60年以上におよぶ過ちを正すべきだ」 と、アムネスティのアジア太平洋部長プルナ・センは述べた。

「慰安婦」制度の被害者は年老いている。正義、適切な公式謝罪、あるいは日本政府からの直接補償を得られないまま亡くなった人びとも数知れない。長年にわたり、日本政府は軍の性奴隷制の責任を認めず、日本政府の役割と直接結びつく証拠が明らかになった時にようやくその責任を認めるということを続けてきた。

「元『慰安婦』に提供された謝罪は適切とは言えず、あいまいなもので、被害者にとっては受け入れられないものだ。また、アジア女性基金は、賠償に関する国際基準を満たしておらず、被害者にとっては彼女たちを金でだまらせる手段だと受け止められている」と、プルナ・センは語った。

「これは過去のものとして片付けてはならない人権問題だ。これは人生が破壊されたという問題であり、正義と賠償が否定され続けているという問題だ。ここでいう賠償とは、単なる道義的な義務という話ではない。強かんや性奴隷といった戦争犯罪ないし人道に対する罪を犯した国家は、完全な賠償をし、被害者に対して、二度と繰り返さないという約束をする法的義務がある。」

日本政府は、ジュネーブ第四条約が結ばれた1949年までは、強かんは戦争犯罪ではないとの主張を続けてきた。しかし、アムネスティはこの報告書で、日本政府が性奴隷制を維持してきた期間を通じて、武力紛争下で起きた強かんを国際慣習法上の戦争犯罪であるとしていた証拠が数多くあると主張している。

「私は16歳のときに中国に連れていかれました」と、79歳になる韓国人イ・オクスンは語る。彼女は誘拐され、中国北東部延辺に連行された。そこの「慰安所」で性奴隷となることを強いられた。

「女性の年齢は14歳から17歳で、一日に40人から50人の兵隊を取らされました」という。「そんな大人数を相手にするのは不可能でしたから、いやだと言ったら殴られました。女性が言うことを聞かないと、彼らは女性を刃物で切りつけました。なかには刺された人もいます。病気になって死んだ女性もいます。つらい経験でした。食事も十分ではありませんでしたし、睡眠時間も足りませんでした。自殺することさえできませんでした。本当に逃げ出したかった。」イ・オクスンは58年間、中国で生活し、やっと韓国に戻ることができた。

「私たちは自分たちの経験が歴史に記録されることを願っています。それによって次世代や他の国の人たちが私たちに何が起きたのか知ってくれるでしょうし、私たちにとってはそれで正義が得られるのです」。フィリピン人ロラ・ピラのそのような言葉が報告書に取り上げられている。「日本政府は日本人兵士が何をしたか、認めるべきです。私たちには、日本政府による謝罪と補償が必要なのです」。

「私はお金よりも正義がほしいのです」と、フィリピン人ロラ・アオモタも語った。「日本政府による公式謝罪を求めているのです」。

背景情報

「慰安婦」という用語は、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、日本、インドネシア、オランダ、その他の日本が占領した国や地域の出身者で、第二次世界大戦の戦前戦中に日本軍により性奴隷を強いられていた若い女性たちを婉曲的に指す言葉である。

日本の当局が、戦争遂行にあたって基地としたあらゆる場所に「慰安所」が設置され、そこで人権侵害が行なわれた。女性たちは、誘拐されたりだまされたりしてこうした場所に連れてこられることもあったし、貧窮した両親に売られてきた女性もいた。

制度化された強かんというものがどういうものかについての幅広い認識があるにもかかわらず、第二次世界大戦後、日本の戦争犯罪を裁くために設置された極東軍事裁判では「慰安婦」問題は無視された。わずかに、インドネシアでおこなわれたオランダ軍事裁判において、オランダ人女性に対する性奴隷行為についてのみ起訴がなされた。インドネシア人女性に対しておこなわれた同じような犯罪行為は裁かれなかった。

屈辱を味わされた「慰安婦」生き残りの被害者は、数十年にわたり沈黙してきたが、この制度への関与を日本政府が否定し続けていることに対し、1990年初めに、声を挙げるようになった。被害者女性は心に深い傷を負い、大半は結婚をせず、繰り返し強かんされて身体的に傷つき、あるいは性感染症に罹患したために子どもを持つことが出来なかった。

日本政府が担った役割を直接に示す証拠を1992年に吉見義明教授が明らかにするまで、政府は「慰安婦」制度の責任を否定してきた。その後、日本政府は数度の公的な謝罪を行なったが、こうした謝罪は被害者にとっては受け入れがたいものだった。さらに、性奴隷制度の被害者や支援者による絶え間ない活動、および国際的な批判を受け、1995年、 日本政府はアジア女性基金を設立した。しかし、この基金は日本政府が彼女たちに対して負う国際的な法的責任を回避するものであると、被害者たちは受け止めている。

報告書の全文(英語)は下記のサイトでご覧になれます。
http://web.amnesty.org/library/Index/ENGASA220122005

アムネスティ発表国際ニュース
(2005年10月28日)
AI Index: ASA 22/013/2005