「難民」という言葉を聞いて、“どこか遠い国の難しい問題”“かわいそう、大変な状況にいる人”といったイメージをする人もいるかもしれません。こうしたイメージを変え、難民問題を少しでも身近に感じてもらおうと、4月28日(土)、日本に庇護を求め逃れてきた方を実際に訪問する「いま難民に会いに行こう」を開催しました。

「日本にも、私たちの近くにも、難民はいる」「同じ社会で暮らしている」ことを感じてもらうために企画したこのイベントには、約15人が参加しました。シリーズ企画第一弾となる今回は、ミャンマー(ビルマ)難民ゾーミントゥさんの職場を訪れました。

ゾーミントゥさんが語る「日本の難民制度の人道的欠陥と法的欠陥」

ゾーミントゥさんは1998年、母国ミャンマーで迫害を受け、2002年に日本ではじめてロヒンギャとして難民認定を受けました。来日して20年、現在は、埼玉県川越市でリサイクル会社を経営しながら、日本ロヒンギャ支援ネットワークの事務局長として自らも難民支援に取り組んでいます。

難民申請から認定にいたるまでの時間の長さ、その間の生活・医療面での不安、難民認定の基準が不明確であること、そして市民の難民への関心の低さ・・・。ゾーミントゥさんは、難民や難民申請者が苦境に追いやられる原因として、「日本の難民制度の人道的な欠陥と法律上の欠陥」があると指摘し、ご自身の経験を語ってくれました。

人権感覚を備えた難民の専門家を育成し、審査を担当する政府の関連機関に置くこと。メディア、教育機関、自治体が難民と地域の市民が交流し相互理解を深められるような機会を増やすこと。そして日本の市民が問題改善のために政府へ声を上げることの必要性を参加者へ切に訴えていました。

参加者が「難民アンバサダー」

今回、参加者には、ゾーミントゥさんの経験や想いを聞いて、感じたこと、思ったことを記事に書いていただき、難民問題の市民の関心を広めるため、自身のSNSにイベントのことを投稿してもらいました。参加者の記事を一部紹介します。

「ゾーミントゥさんが、命の危険を感じてヤンゴンから日本に渡ったのは、今の私と同じ年の26歳の頃だと聞き、今の自分が当時のゾーミントゥさんと同じ立場だったとしたら、どうするだろうと考えました。同じく、国外へと逃れると思います。そして、これからどうやって生きていくのかという不安で眠れず、言葉も通じない、誰を信用したらいいかわからない怖さで、押しつぶされてしまいそうになると思います。大変な恐怖の中で、逃げてきた人々に対し、助けの手を差し伸べるような日本の制度と社会であってほしいと強く願います」

「母国で大変な経験をされて、必死ですがるような気持ちで助けを求めてきた難民の人々が、日本で受け入れられずに、時には犯罪者のように扱われることもあり、つらい思いをされていることを知り、ショックを受けました。私たち市民が関心を持ち自発的に動いていく必要があると強く感じました」

「難民は、私と同じ普通に生活していた一般市民であり、たまたま権力と対立する立場に立ってしまったり、紛争や災害に巻き込まれてしまったりして、命を落としかねない状況に立たされてしまっただけなのです。何も悪いことはしていません。それなのに、彼らを犯罪者のように扱う日本の制度に違和感を覚えました。政府、地方自治体、地域のコミュニティ、ご近所、お隣さんの中に、難民に対して協力的な人が増やすことが重要だと感じました。そして、私自身、何ができるのかを考え、実行していきたいです」

「日本と関係も深いミャンマーで、今もロヒンギャへの弾圧が続いています。隣国バングラデシュに逃れているロヒンギャも大勢いますが、中には必要最低限の物資さえもない生活を強いられている人もいます。その状況を語り、『日本の人たちにバングラデシュの難民キャンプを訪れて、現実を見て来て欲しい』と訴える彼の想いを、広く伝えていかなければならないと感じました」

「最も印象的だったのは、ゾーミントゥさんが、ロヒンギャ難民のことだけでなく、その他さまざまな難民ためにも活動をしていることです。『Humanity(人道主義)』という言葉を繰り返し、『同じ人間同士が助け合うのは、あたりまえですよね!』と話されていました。『同じ人間の一人として』この世界的な問題に対して、私自身何ができるかと考え行動を続けたいと思います」

ゾーミントゥさん、そしてご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!

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実施日 2018年4月28日(土)
主催 アムネスティ・インターナショナル日本

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